原田文也
日本の政治家
原田 文也(はらた ぶんや[1][2]、1916年(大正5年)4月18日[1][2][3] - 2000年(平成12年)12月12日[2])は、昭和から平成初期の政治家。長野県茅野市長。
来歴
編集長野県諏訪郡玉川村(現茅野市)で、原田浜三郎、なか の二男として生まれた[1]。早稲田大学商学部聴講生(講義録)修了[1][3]。1932年(昭和7年)伊勢丹に入社し[1][2]、その後、2年間兵役に就いた[1]。1940年(昭和15年)日立航空機に移り[2]、1945年(昭和20年)玉川村役場に入り[1][3][2]、1852年(昭和27年)収入役に就任[3][2]。1955年(昭和30年)合併で茅野町収入役となる[1][3]。茅野市発足後、1958年(昭和33年)収入役、1963年(昭和38年)助役となる[1][3][2]。1967年(昭和42年)に退職し、東洋精機興業に入社し事業部副部長に就任[1]。
1971年(昭和46年)4月、茅野市長選挙に当選し[1][3]、6期在任して1995年(平成7年)4月に退任した[2]。在任中は茅野駅周辺市街地の再開発、工業団地の造成、公共下水道の整備などに尽力した[3]。その他、茅野市観光連盟会長、長野県国民健康保険団体連合会長、茅野冨士見原消防組合長、市森林組合長、市体育協会長などを歴任した[1]。
栄典
編集1995年(平成7年)勲三等瑞宝章受章[2]
脚注
編集参考文献
編集外部リンク
編集公職 | ||
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先代 丸茂作太郎 |
長野県茅野市長 1971年 -1995年 |
次代 矢崎和広 |