原田慶吉
原田 慶吉(はらだ けいきち、1903年7月30日 - 1950年9月1日)は、日本の法制史学者。専門はローマ法。兵庫県神戸市出身。
経歴
編集- 1926年 - 東京帝国大学法学部卒業(英吉利法選修)。同助手。
- 1929年 - 東京帝国大学法学部助教授。
- 1936年-1938年 - ドイツ留学
- 1939年 - 東京帝国大学法学部教授。
- 1947年1月 - 深夜、東大赤門付近で、駐留米軍兵士の強盗に襲われ、脳挫傷の重傷を負う[1][2][注釈 1]
- 1949年 - 法制史学会の設立に尽力、発起人の一人となる。11月の会の設立後は初代の代表理事に任命された。
- 1950年 -「楔形文字法の研究」により、1949年度 朝日文化賞受賞
- 1950年4月 - 前述脳挫傷の後遺症による極度の抑欝症を発症、東京大学医学部附属病院に入院
- 1950年9月1日 - 仮退院後、東京都杉並区高円寺の自宅で療養中に縊死[1][2][3]
著書
編集栄典
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集関連項目
編集外部サイト
編集- コトバンク
- 法制史学会の歩み
- 原田慶吉教授(1903~1950)著作目録(2訂版) - 広島大学法学部 吉原研究室のページ内
- 原田慶吉電子文庫