原家住宅

山梨県富士吉田市にある富士講の御師の住宅

原家住宅(はらけじゅうたく、別称:旧竹屋家住宅[1]、旧竹谷家住宅[1] )は、山梨県富士吉田市上吉田、北口本宮冨士浅間神社の門前に建つ、大正時代の住宅。 富士講御師の住宅であり、2017年(平成29年)10月に国の登録有形文化財(建造物)に登録された[2] [3]

原家住宅
所在地 山梨県富士吉田市上吉田六丁目162番地
位置 北緯35度28分37.9秒 東経138度47分36.2秒 / 北緯35.477194度 東経138.793389度 / 35.477194; 138.793389座標: 北緯35度28分37.9秒 東経138度47分36.2秒 / 北緯35.477194度 東経138.793389度 / 35.477194; 138.793389
類型 御師住宅
形式・構造 切妻造平入木造平屋建、鋼板葺
延床面積 199㎡
建築年 西暦1912-1926年 大正時代
文化財 国の登録有形文化財
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概要

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敷地内案内板(御師竹屋、竹谷)

御師の住宅(宿坊)として代表的な建築物である。江戸時代に86軒[4]連なった富士山北口(富士吉田市)御師住宅の一軒である。

御師竹屋家(竹谷家)が本住宅にて営んできた[1][5]

原家住宅は、北口本宮富士浅間神社の参道から続く通称富士みち(国道137号国道139号の重複区間)の西、細長い敷地内に建つ。表通りに面した石柱門から、タツミチ(細長い通路)を進み、中門をくぐり、ヤーナ川(禊ぎを行う小川)を渡り、その先正面に建つ。建物は、母屋の後方に渡廊下で御神前が接続する。富士山御師の形式をよく残している[3]

一般的な富士山御師同様、単なる住宅ではなく、宿坊、御神前を備え、宿坊にて参拝者(登山者)に宿を提供し、世話を行い、御神前にて祈祷を行い、参詣者と神仏の仲立ちを行っていた[6]

原家住宅は、個人宅のため、非公開。

歴史

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御師竹屋家は、上吉田の町が成立した1572年から約400年続く家柄である[4][5][7]明治時代に姓を竹屋より竹谷に改めた[1]。大正時代(1912〜1926年)に御師竹谷家により主屋が建てられた[3]昭和時代に縁戚の原家が竹谷家の住居を継承し現在に至る[8]

保存状態が良く歴史的価値が高いため、2017年10月、国の登録有形文化財に登録された。

脚注

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  1. ^ a b c d 原家住宅敷地内案内板ファイル:御師竹屋,竹谷案内板.jpg
  2. ^ 原家住宅主屋 国指定文化財等 データベース”. bunka.nii.ac.jp. 2022年4月16日閲覧。
  3. ^ a b c 原家住宅主屋(山梨県富士吉田市上吉田) 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2022年4月16日閲覧。
  4. ^ a b ひらかれた富士山への道 山梨県公式ホームページ”. 2021年12月4日閲覧。[リンク切れ]
  5. ^ a b 竹谷靱負『日本人は、なぜ富士山が好きか』2012年、祥伝社新書 ISBN 978-4396112912
  6. ^ 御師旧外川家住宅”. ふじさんミュージアム. 2021年11月30日閲覧。
  7. ^ - 富士吉田市教育委員会 - 登録有形文化財”. web.fujinet.ed.jp. 2022年4月21日閲覧。
  8. ^ “富士講の宿” 御師の家に泊まってきた”. 2022年4月16日閲覧。

関連項目

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