茜部荘(あかなべのしょう)は、平安時代室町時代にかけて美濃国厚見郡茜部村にあった荘園。960年に厚見荘から茜部荘へ改称された。東大寺領。

概要

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所在

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美濃国厚見郡南部。現在の岐阜県岐阜市茜部地区(茜部大野、茜部中島、茜部菱野、茜部新所、茜部寺屋敷など)が中心地。

規模

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弘仁9年(818年)に107町339歩。1147年(久安3)本田77町余。

起源

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領主

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東大寺

終焉

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鎌倉時代大江広元の子の長井時広地頭になり、代々これを相続、東大寺と訴訟を繰り返して勢力を拡大するが、南北朝時代後醍醐天皇が没収し、東大寺に再寄進した。その後の地頭は不明だが、応仁の乱の頃には完全に東大寺のもとを離れた。15世紀後半に終焉を迎えた。

備考

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年貢は東大寺の衣服料にあてたため、綿で収めた。

関連項目

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参考文献

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