厚見王(あつみおう/あつみのおおきみ、生没年不詳)は、奈良時代の皇族・歌人。知太政官事・舎人親王の子とする系図がある[1]。官位は従五位上・少納言。
聖武朝末の天平勝宝元年(749年)4月に无位より従五位下に叙される。孝謙朝の天平勝宝6年(754年)太皇太后・藤原宮子の葬儀の御装束司を務め、天平勝宝7歳(755年)少納言在任時に伊勢神宮の奉幣使となる。天平勝宝9歳(757年)従五位上に昇叙された。
『万葉集』に以下3首の歌を載せる。
『続日本紀』による。