南山城 (備中国)
南山城(みなみやまじょう)は、岡山県倉敷市の旧真備町から旧船穂町にかけてあった日本の城(山城)[1][注 1]。
南山城 (岡山県) | |
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城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 毛利氏か |
築城年 | 16世紀後半か |
主な城主 | 毛利氏か |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪、掘立柱建物、溝、畝状空堀群 |
指定文化財 | 未指定 |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯34度37分22.2秒 東経133度43分36.3秒 / 北緯34.622833度 東経133.726750度座標: 北緯34度37分22.2秒 東経133度43分36.3秒 / 北緯34.622833度 東経133.726750度 |
地図 |
概要
編集城跡は高梁川と小田川の合流点地点にある標高67メートルの丘陵上に築かれており、北に旧山陽道を望むことができる[3]。周辺の歴史背景や畝状空堀群の存在から16世紀後半に毛利氏勢が築いた可能性が指摘されている[4]。城跡は約110メートル四方の規模で、複数の曲輪があり、横矢が設けられている箇所もある[5]。
発掘調査
編集国土交通省の小田川合流点合流点付替え事業に伴い、岡山県古代吉備文化財センターが2017年(平成29年)4月から南山城跡の発掘調査を実施しており[1]、2019年(令和元年)10月末の調査終了後に山ごと姿を消す見込みとされる[6][注 2]。発掘調査成果として、掘立柱建物・塹壕の可能性のある溝・つぶて石(投石)と考えられる石が集められた箇所があるのが見つかっている[1]。