千歳町停留場 (北海道)
北海道函館市にある函館市企業局交通部の停留場
千歳町停留場(ちとせちょうていりゅうじょう)は、北海道函館市千歳町27番地先、新川町23番地先にある函館市企業局交通部(函館市電)湯の川線の停留場である[2]。駅番号はDY14。
千歳町停留場 | |
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全景(2009年5月) | |
ちとせちょう CHITOSE-CHO | |
◄DY13 昭和橋 (0.3 km) (0.3 km) 新川町 DY15► | |
所在地 | 北海道函館市千歳町27-4先、新川町23-17先 |
駅番号 | DY14 |
所属事業者 | 函館市企業局交通部 |
所属路線 | 函館市電湯の川線 |
キロ程 | 5.3 km(湯の川起点) |
駅構造 | 地上駅(停留場) |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
320[1]人/日 -2019年- |
開業年月日 | 1913年6月29日 |
歴史
編集構造
編集2面2線の相対式ホーム。 2007年(平成19年)3月に電車3両より1両へ復線ホームの短縮工事が行われた。
新川車庫
編集函館水電による1913年(大正2年)6月29日の東雲町(後の労働会館前) - 湯川間の電化に先立ち、当時の東川橋停留所から引き込み線が設けられ、馬車鉄道時代の車庫に代わる施設として「新川車庫」が開設された。車庫の建物は旧函館区公会堂を手がけた北海道屈指の工事請負人村木甚三郎の手による[3]。1926年(大正15年)1月20日、新川車庫火災により電車59両のうち31両(30両とも)と共に焼失したものの、再建された。出火発見時刻は22時32分。車庫一棟の他ペンキ工場一棟が焼失。原因は50形48号(ボギー車)のトロリーポールの取り外し忘れによる漏電が最有力。重傷者は1名[4][5][6][7]。焼け残った台車などの部品と自社で新造した100形と同型の車体を組み合わせた車両を製作し既存の100形へ編入したほか、当時唯一の大型ボギー車であった50形の車体を梅鉢鉄工所と自社工場で各1両再生した。また、車庫火災後に東京市電気局より急きょ導入したものの、車体の老朽化が著しかった200形(初代)の車体を前述の100形と同型の車体に載せ替える車体更新を行い、こちらも100形へ編入した。1934年3月21日、函館大火により再度焼失。車庫と工場の機能は函館大火後は駒場車庫及び柏木車庫に分散する形となり、再建されなかった。現在、新川車庫の跡地には函館水電(→帝国電力)の後身である北海道電力の函館支店が建っている。
函館水電の施設
編集周辺
編集隣の停留場
編集脚注
編集- ^ “北海道 駅乗降客数”. 2021年3月11日閲覧。
- ^ a b c d e f 今尾恵介 編『日本鉄道旅行地図帳 1号 北海道』新潮社、2008年、25頁。ISBN 978-4-10-790019-7。
- ^ 村木甚三郎はこだて人物誌 函館市 2011年2月3日閲覧
- ^ 函館毎日新聞 夕刊 1926年1月21日
- ^ 函館毎日新聞 朝刊 1926年1月22日
- ^ 函館日日新聞 1926年1月21日
- ^ 日本の市内電車-1895-1945- 和久田康雄 成山堂書店 2009年 ISBN 9784425961511 p15
- ^ 市電50年のあゆみ 89ページ 2011年2月18日閲覧
- ^ “乗車券の販売場所(函館市電)”. 函館市企業局交通部. 2021年1月13日閲覧。
参考文献
編集- 走りました80年~函館市交通局路面電車開業80周年・市営交通発足50周年記念写真集 函館市交通局 1993年
- 日本の市内電車-1895-1945- 和久田康雄 成山堂書店 2009年 ISBN 9784425961511
関連項目
編集外部リンク
編集- 停留場情報 - 千歳町(函館市企業局交通部)