十時忠秀
日本の教育者、医学者
経歴
編集柳川市に生まれる[1]。1961年3月福岡県立修猷館高等学校を経て[2]、1968年3月九州大学医学部を卒業[3]。
1969年6月九州大学医学部附属病院麻酔科助手となり、1980年4月佐賀県立病院好生館(現・佐賀県医療センター好生館)麻酔科医長を経て、1982年4月佐賀医科大学医学部麻酔科教授に就任。2003年10月に佐賀医科大学が佐賀大学と統合し佐賀大学医学部となると、同月佐賀大学医学部附属病院院長に就任。2005年10月佐賀大学副学長も兼務した[3]。2008年3月退官し、名誉教授となる[4]。
2008年4月佐賀県医療統括監となり、2010年2月より2015年6月まで公益財団法人佐賀国際重粒子線がん治療財団(通称 サガハイマット)初代理事長、2010年4月より2014年3月まで佐賀県医療センター好生館理事長を務める[3]。
2015年4月より2015年7月まで福岡女学院看護大学学長、2015年6月より2021年5月まで学校法人福岡女学院理事長を務める[3]。
脚注
編集- ^ a b 院長に寺園喜基元西南学院理事長、学長に高島一路天神サテライト長 福岡女学院看護大学長に十時サガハイマット理事長 ふくおか経済2015/05/26(2023年5月6日閲覧)
- ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員188頁
- ^ a b c d 十時理事長の最終講義と「未来をになう看護師のみなさんへ」 福岡女学院看護大学2021/05/26(2023年5月6日閲覧)
- ^ KAKEN:科学研究費助成事業データベース 十時忠秀(2023年5月6日閲覧)
- ^ 夢想連環如水之音 “福岡女学院大学(番外編)”熊本城おもてなし武将隊ブログ - 2015年11月26日