大久保一家(おおくぼいっか)は、群馬県高崎市に本拠を置く博徒暴力団で、指定暴力団松葉会の二次団体。

大久保一家十二代目
設立江戸時代
設立者田中代八
本部群馬県高崎市福島町742-11
首領小池清一
構成員数
(推定)
130名
上部団体松葉会

概要

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上州博徒の元祖ともいわれる田中代八により結成された老舗組織。

山平重樹によると日本で一番古い系統の持つ組織である[1]

略歴

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江戸時代上州駒寄村大久保で生まれた初代・田中代八が北関東大久保一家を興した。侠客大前田英五郎の父である大前田久五郎や生井一家初代・生井弥兵衛は北関東大久保一家の貸元だった。

1784年天明4年)3月28日、初代・田中代八が大々的な博徒狩りで捕らえられ死亡した。金谷秀蔵が、北関東大久保一家二代目を継承した。

幕末、六代目・中島栄作が衰退していた北関東大久保一家を再建した。中島栄作は、縄張りを北群馬郡吉岡町まで広げた。

1881年(明治14年)4月18日、中島栄作が死亡した。中島常吉が、北関東大久保一家七代目を継承した。

1969年(昭和44年)1月、元関根組(後の松葉会)組長・関根賢は、松葉会群馬県支部支部長・牧野春夫(後の牧野国泰。本名は李春星。後の松葉会五代目会長)を東京都向島の関根賢の自宅に呼び出した。関根賢は、牧野春夫に、関根の兄弟分である中島豊吉(魚トヨ)の跡目として北関東大久保一家十代目を継ぐように勧めた。

1970年(昭和45年)、牧野国泰は、中島豊吉から、北関東大久保一家十代目を継承した。

1993年(平成5年)12月、牧野国泰は、中村益大から、松葉会五代目を継承した。

1993年(平成5年)12月、北関東大久保一家総長代行・荻野義朗は、牧野国泰から、北関東大久保一家十一代目を継承した。

2013年(平成25年)、小池清一が北関東大久保一家十二代目を継承した。

系譜

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  • 初代 - 田中代八
  • 二代目 - 金谷秀蔵
  • 三代目 - 金谷円蔵
  • 四代目 - 金谷粂蔵
  • 五代目 - 金谷 九兵衛
  • 六代目 - 中島栄作
  • 七代目 - 中島常吉
  • 八代目 - 中島 安五郎
  • 九代目 - 中島豊吉
  • 十代目 - 牧野国泰(本名: 李 春星、松葉会五代目会長)
  • 十一代目 - 荻野義朗(松葉会六代目会長)
  • 十二代目 - 小池清一

脚注

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  1. ^ ヤクザ伝 裏社会の男たち. 幻冬舎アウトロー文庫. (2000年6月) 

参考文献 

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