北海道道631号ニセコ高原比羅夫線
北海道道631号ニセコ高原比羅夫線(ほっかいどうどう631ごう ニセコこうげんひらふせん)は、北海道虻田郡倶知安町内を結ぶ一般道道(北海道道)である。
一般道道 | |
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北海道道631号ニセコ高原比羅夫線 | |
総延長 | 4.589 km |
実延長 | 2.586 km |
制定年 | 1969年(昭和44年) |
起点 | 北海道虻田郡倶知安町ニセコ高原 |
終点 | 北海道虻田郡倶知安町字比羅夫146番3地先 |
接続する 主な道路 (記法) |
国道5号 |
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概要
編集路線データ
編集- 起点:北海道虻田郡倶知安町ニセコ高原〈字山田〉《ニセコひらふ1条3丁目11先》
- 終点:北海道虻田郡倶知安町字比羅夫146番3地先(国道5号交点)[1]
- 総延長:4.589 km[2]
- 実延長:2.586 km[2]
- 重用延長:1.973 km[2]
路線中地名について
編集路線中の地名のうち、北海道告示では起点が「虻田郡倶知安町ニセコ高原」と表記されている[3]が、道路台帳図では起点からサンモリッツ大橋までの間が「倶知安町字山田」と表記されている[4]。また、2022年(令和4年)に倶知安町がニセコ東急 グラン・ヒラフを含めた周辺の地名を、これまでの「字山田」から「ニセコひらふ」に変更することを同年1月20日に公示[5]及び10月1日に施行[6]していて、公式資料に記載されている地名表記がまちまちなことから、当記事での路線における地名表記は、起点は北海道告示を第一表記として〈道路台帳図の起点表記〉《倶知安町による変更後の地名表記[7]》の形で併記し、告示に記述がないものは道路台帳図の内容を第一表記として《倶知安町による変更後の地名表記》を併記している。
歴史
編集- 1969年(昭和44年)6月18日 - 路線認定[3]
- 当初は倶知安町字山田 - 字樺山間の北海道道343号蘭越ニセコ倶知安線交点及び重複路線を経由し、尻別川と函館本線を横断して国道5号に至る路線で、終点は「字比羅夫495番2地先」に位置していた。また、当時の路線途中の函館本線踏切付近から比羅夫駅に至る倶知安町道比羅夫駅通り線が接続している[9]。
- 2005年(平成17年)12月20日 - サンモリッツ大橋開通[10]を含めた道路の供用開始と区域変更に伴い、終点を字比羅夫495番2地先から字比羅夫146番3地先に変更し、北海道道343号蘭越ニセコ倶知安線との重複区間も変更される[1][8]
路線の成り立ちなど
編集この路線が出来た当初のルートは、比羅夫駅から羊蹄山に向かう登山客のための倶知安町道[11]と、同駅から当時の比羅夫スキー場(現在のニセコ東急 グラン・ヒラフ)に至るスキー客のための同町道が前身となっていて、中でも1952年(昭和27年)に比羅夫駅から現在の起点付近に存在した山田温泉旅館(1894年〔明治27年〕に温泉発見、3年後に開業[12][13]、ただし現存せず)に至る自動車道路が開通したという記録があり[13][14]、さらに1960年(昭和35年)に、翌年の比羅夫駅 - 山田温泉間国鉄バス路線運行開始と北海道道移管を前に字樺山 - 字比羅夫(国道5号交点)間で尻別川にかかる比羅夫橋の永久化工事も行われたという歴史がある[14][15]。
しかし当初の字樺山 - 字比羅夫間路線の大半は1.5車線程度の待避所を有する狭隘道路となっていて、区間内には急坂があり、かつ急カーブも多く[8]、さらに函館本線の踏切において大型トレーラー、特に低床式トレーラーやセミトレーラー式キャリアカーなどの、最低地上高が低い車両底面が線路に接触する事故も多かったために標識等によって大型トレーラーへの通行注意喚起が行われていた[16]。この状況は前述する2005年のサンモリッツ大橋開通に伴う路線変更まで続く事となる。
路線状況
編集重複区間
編集- 倶知安町字山田《ニセコひらふ1条3丁目3先 - 5条2丁目6先》(北海道道343号蘭越ニセコ倶知安線)
道路施設
編集- 主な橋梁
地理
編集通過する自治体
編集- 後志総合振興局
- 虻田郡倶知安町
交差する道路
編集- 倶知安町
- 北海道道343号蘭越ニセコ倶知安線 - 字山田《ニセコひらふ1条3丁目3先、5条2丁目6先》(重複)
- 国道5号 - 字比羅夫146番3地先(終点)
沿線にある施設など
編集- 倶知安町
- ニセコ東急 グラン・ヒラフ - ニセコひらふ1条2丁目9-1
脚注
編集- ^ a b 2005年北海道告示第932号
- ^ a b c “道路現況調書 令和3年4月1日現在 北海道”. 一般財団法人 北海道建設技術センター (2022年8月5日). 2023年3月2日閲覧。(R3 道路現況調書(2.54MB)一般公開より)
- ^ a b 1969年北海道告示第1249号
- ^ 後志総合振興局小樽建設管理部所有「北海道道631号ニセコ高原比羅夫線」道路台帳図 1987年(昭和62年)3月20日 - 25日
- ^ “倶知安町告示第15号(住居表示に関する公示のお知らせ(R4.1.20) - 公示より)” (PDF). 倶知安町 (2022年1月20日). 2022年12月12日閲覧。
- ^ “倶知安町告示第123号(令和4年8月18日付、住居表示の実施について、住居表示に関する法律(昭和37年法律119号)第3条第1項及び第2項の規定に基づく告示)” (PDF). 倶知安町 (2022年8月18日). 2022年12月12日閲覧。
- ^ “住居表示案内図” (PDF). 倶知安町 (2022年8月18日). 2022年11月14日閲覧。
- ^ a b c d 2005年北海道告示第10991号
- ^ 2005年北海道告示に伴う区域変更図[8]より
- ^ “札幌←→ニセコ最短ルート 20日開通 サンモリッツ大橋 尻別川またぐ全長446メートル 倶知安”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2005年12月14日)
- ^ 倶知安町百年史 中巻 1993, p. 181.
- ^ ニセコひらふの歴史:弘治元年~明治45年.
- ^ a b 倶知安町史 1961, pp. 918–919.
- ^ a b ニセコひらふの歴史:昭和15年~昭和35年.
- ^ 倶知安町百年史 中巻 1993, pp. 750–751.
- ^ 2005年に該当区間が倶知安町に移管されて以降[8]の現在は「大型トレーラー通行止め」規制となっている。
- ^ 建設グラフインターネットダイジェスト「一般国道5号とスキー場を結ぶ道道ニセコ高原比羅夫線・サンモリッツ大橋を建設」
参考資料
編集- “ニセコひらふ教育旅行協会 ニセコひらふの歴史:弘治元年~明治45年”. ニセコひらふ教育旅行協会. 2023年4月20日閲覧。
- “ニセコひらふ教育旅行協会 ニセコひらふの歴史:昭和15年~昭和35年”. ニセコひらふ教育旅行協会. 2023年4月20日閲覧。
- 倶知安町史編纂委員会『倶知安町史』倶知安町、1961年8月30日。
- 倶知安町史編集委員会『倶知安町百年史 上巻』倶知安町、1993年3月31日。
- 倶知安町史編集委員会『倶知安町百年史 中巻』倶知安町、1993年3月31日。
- 倶知安町史編集委員会『倶知安町百年史 下巻』倶知安町、1995年5月31日。