北海道東照宮

北海道函館市にある神社

北海道東照宮(ほっかいどうとうしょうぐう)は、北海道函館市陣川町にある神社。別名は函館東照宮。東照大権現(徳川家康)を祀る東照宮の一社である。旧県社[1]

北海道東照宮


拝殿

地図
所在地 北海道函館市陣川町82-153
位置 北緯41度50分19.2秒 東経140度47分7.1秒 / 北緯41.838667度 東経140.785306度 / 41.838667; 140.785306座標: 北緯41度50分19.2秒 東経140度47分7.1秒 / 北緯41.838667度 東経140.785306度 / 41.838667; 140.785306
主祭神 東照大権現
社格県社
創建 1864年元治元年)
別名 函館東照宮
地図
北海道 東照宮の位置(北海道内)
北海道 東照宮
北海道
東照宮
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沿革

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1864年元治元年)、江戸幕府五稜郭を建設するに伴い、様似にある等澍院[2]に祀られていた東照大権現を五稜郭の鬼門にあたる上山村(かみやまむら、現在は神山稲荷神社が建つ)に遷座する形で創建された。この際、上山は神山と改名された。例大祭が盛大に行われるなど、同社は「蝦夷日光」と呼ばれて信仰を集めた[3][4]

箱館戦争では、旧幕府軍は五稜郭北方の防御拠点として四稜郭のほか、東照宮に陣地(権現台場)を急造し、明治2年5月11日1869年6月20日)の箱館総攻撃で権現台場も戦場となり、社殿が焼失した[4]

その後、1874年明治7年)6月に谷地頭に仮社殿を建てた後、1878年(明治11年)12月に南新町(現在、元町配水場がある場所)へ、さらに1879年(明治12年)4月には亀若町(現在の宝来町)へと、函館市内を転々とした[4]1934年昭和9年)3月の函館大火では類焼したが同年9月に再建された[1]。社格は1874年には村社であったが、1915年(大正3年)に郷社、1923年(大正11年)に県社へ昇格した[1]

1992年平成4年)に現在地へ移転[5]

創建時の遺構として、当時の箱館奉行小出秀実が奉納した御影石手水鉢が残る[6]

脚注

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  1. ^ a b c 函館市史』 通説編第3巻、函館市、747-755頁http://archives.c.fun.ac.jp/hakodateshishi/tsuusetsu_03/shishi_05-02/shishi_05-02-07-03-02.htm 
  2. ^ アイヌ教化のため、江戸幕府により建てられた蝦夷三官寺の一つ。
  3. ^ 函館市史』 通説編第1巻、函館市、697頁https://adeac.jp/hakodate-city/text-list/d100010/ht033870 
  4. ^ a b c 函館市史』 亀田市編、函館市、161-163頁https://adeac.jp/hakodate-city/text-list/d100030//ht001190 
  5. ^ 北海道東照宮(函館東照宮)”. 函館市公式観光情報「はこぶら」. 2017年11月18日閲覧。
  6. ^ 北海道新聞社・編 編『はこだて歴史散歩』北海道新聞社、1982年、121頁。ISBN 4-89363-315-5 

関連項目

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外部リンク

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