北条 益時(ほうじょう ますとき)は、鎌倉時代末期の赤橋流北条氏の一族・武将。
第16代執権・北条守時の子とされているが、一説に守時の弟の宗時の子ともされる[1]。足利尊氏の義理の甥に当たる。
正慶2年/元弘3年(1333年)5月18日、新田義貞の鎌倉攻めの際に守時と共に敗北、自害した[1]。