北外山城
北外山城(きたとやまじょう)は、愛知県小牧市にあった日本の城(平城)。
北外山城 (愛知県) | |
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北外山城の石碑 | |
別名 | 北外山砦 |
城郭構造 | 平城 |
築城主 | 織田与四郎 |
築城年 | 不明 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 石碑 |
指定文化財 | 未指定 |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯35度16分35.3秒 東経136度55分42.9秒 / 北緯35.276472度 東経136.928583度 |
地図 |
歴史
編集築城年は不明であるが、尾張国守護代として、上四郡(葉栗郡・丹羽郡・中島郡・春日井郡)を支配した岩倉織田家の織田与四郎が居城した。その後、文明11年(1479年)岩倉城が築城される頃までには廃城となる。
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの際、織田信雄・徳川家康連合軍の砦として、 北外山城跡が修復されて北外山砦となる。蟹清水砦・宇田津砦と共に小牧山城の右方の連砦として秀吉軍に対抗した。 「羽黒の戦い」の時期は、本多忠勝、後に松平家忠が守護、 「長久手の戦い」の時期は、松平信一・奥平信昌・本多忠勝・本多広孝らが護った。
現在では、城跡は住宅地に変わり、個人宅庭に石碑が立つ。