北倉郡
北倉郡(プクチャンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国平安南道に属する郡である。
位置 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 북창군 |
漢字: | 北倉郡 |
日本語読み仮名: | きたくらぐん |
片仮名転写: | プクチャン=グン |
ローマ字転写 (MR): | Pukch'ang kun |
統計(2008年) | |
面積: | 575.0 km2 |
総人口: | 139,498 人 |
人口密度: | 242.61 人/km2 |
行政 | |
国: | 朝鮮民主主義人民共和国 |
上位自治体: | 平安南道 |
地理
編集隣接行政区
編集行政区域
編集1邑・ 5労働者区・20里を管轄する。
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歴史
編集北倉郡は、北朝鮮建国後に新設された郡である。
1952年12月、孟山郡の玉泉面・封仁面・鶴川面、徳川郡の蚕島面・蚕上面が統合され、北倉郡が編成された(1邑25面)。
はじめ郡人民委員会は旧玉泉面北倉里に置かれ、この地区を北倉邑と称した。1967年には楊村里とその周辺地域が北倉労働者区に編成された。1972年、郡人民委員会は北倉労働者区(旧・楊村里)に移転し、この地区が北倉邑と呼ばれるようになり、それまでの北倉邑(旧・北倉里)は北倉労働者区に改称された。
1995年8月には石山里・院坪里・龍山里を再編し、得将地区が新設された。2000年に得将地区は廃止され、同地区所属の労働者区は北倉郡に編入されている。
年表
編集この節の出典[1]
- 1952年12月 - 郡面里統廃合により、平安南道孟山郡玉泉面・封仁面・鶴川面、徳川郡蚕島面・蚕上面をもって、北倉郡を設置。北倉郡に以下の邑・里が成立。(1邑25里)
- 北倉邑・龍浦里・水玉里・豊穀里・光労里・採嶺里・南上里・淵流里・新福里・加坪里・召倉里・上下里・院坪里・官下里・三興里・蚕上里・石山里・梅峴里・新石里・松寺里・南陽里・檜安里・三里・大坪里・松林里・龍山里
- 1954年10月 (1邑26里)
- 1967年 (1邑2労働者区24里)
- 大坪里の一部が龍山里に編入。
- 龍山里の一部が石山里に編入。
- 楊村里および大坪里の一部が合併し、北倉労働者区が発足。
- 採嶺里が松南労働者区に昇格。
- 1972年 (1邑2労働者区24里)
- 北倉邑が北倉労働者区(新)に降格。
- 北倉労働者区(旧)が北倉邑に昇格。
- 1981年 (1邑4労働者区22里)
- 豊穀里が豊穀労働者区に昇格。
- 龍浦里が芿浦労働者区に昇格。
- 1984年 - 价川郡鳳倉里を編入。(1邑4労働者区23里)
- 1990年10月 - 大坪里の一部が北倉労働者区に編入。(1邑4労働者区23里)
- 1992年1月 - 新坪里が新設の殷山郡に編入。(1邑4労働者区22里)
- 1994年 - 殷山郡新坪里を編入。(1邑4労働者区23里)
- 1995年8月 (1邑4労働者区21里)
- 石山里および院坪里・龍山里の各一部が新設の得将地区に編入。
- 院坪里の残部が龍山里に編入。
- 1997年 - 官下里が官下労働者区に昇格。(1邑5労働者区20里)
- 2000年1月 - 得将地区得将労働者区・鳴鶴労働者区・甫業労働者区・カルコル労働者区を編入。(1邑9労働者区20里)
- 2008年前 - 得将労働者区・鳴鶴労働者区・甫業労働者区・カルコル労働者区が新設の得将地区に編入。(1邑5労働者区20里)