北アイルランド総督
北アイルランド総督(きたアイルランドそうとく、英語: Governor of Northern Ireland)は、北アイルランドにおける行政の長であり、イギリスの君主の公式な名代であった役職。この総督職は1922年12月9日に創設され、1973年7月18日に廃止された。
北アイルランド 総督 (ガヴァナー) | |
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総督旗 | |
呼称 | Excellency |
庁舎 | ヒルズバラ城 |
初代就任 | ジェイムズ・ハミルトン (第3代アバコーン公爵) |
創設 | 1921年5月3日 |
最後 | The Lord Grey of Naunton |
廃止 | 1973年7月18日 |
継承 | 北アイルランド担当大臣 |
概要
編集北アイルランド総督職は、1922年12月9日に、イギリス政府の特許状によって創設された[1]。その目的は、
1920年の法および1921年4月27日付の特許状に基づく、ないしはアイルランド自由国憲法 (Irish Free State Constitution Act 1922) の成立の時点でアイルランド総督 (ロード・レフテナント) の職責にあった、北アイルランドにおけるあらゆる事柄について、しかるべく定められた手続きに従い、執行する
ことにあった。
総督は、北アイルランド国璽 (Great Seal of Northern Ireland) を所有していた。
総督職は、日本語では同じく総督と訳されるアイルランド総督 (Lord Lieutenant of Ireland) の役割を北アイルランドにおいて継承するものであり、1921年5月3日に設けることが定められ[2]、1973年7月18日に北アイルランド憲法 (Northern Ireland Constitution Act 1973) 第32条によって廃止された[3]。総督の権能は、1973年12月20日の特許状によって、1972年に新設された北アイルランド担当大臣 (Secretary of State for Northern Ireland) に継承された。
公邸
編集北アイルランド総督の公邸は、ダウン県のヒルズバラ城 (Hillsborough Castle) であった。初代総督であったアバコーン公は、改装を行なった上で1925年にこの城に入った。1973年に総督職が廃止されるまで、ヒルズバラ城は北アイルランド総督の公邸であり続け、その後は北アイルランド担当大臣の公邸となった。
歴代総督
編集代 | 名 | 就任 | 退任 |
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1. | ジェイムズ・ハミルトン (第3代アバコーン公爵) | 1922年12月12日 | 1945年9月6日 |
2. | ウィリアム・レヴソン=ガワー (第4代グランヴィル伯爵) | 1945年9月7日 | 1952年12月1日 |
3. | ジョン・ローダー (第2代ウェイクハースト男爵) | 1952年12月1日 | 1964年12月1日 |
4. | ジョン・アースキン (初代アースキン・オブ・レリック男爵) | 1964年12月1日 | 1968年11月27日 |
5. | ラルフ・グレイ (グレイ・オブ・ノーントン男爵) | 1968年11月27日 | 1973年6月26日 |
関連項目
編集出典・脚注
編集- ^ House of Lords, Northern Ireland Bill, Memorandum by the Northern Ireland Office. Archived 2011年6月5日, at the Wayback Machine.
- ^ 1921年5月3日は、北アイルランドと南アイルランドにそれぞれの議会を設置することを定めたアイルランド統治法にもとづいて、総督職を設けることが決まった日付である (SR&O 1921, No. 533)。
- ^ A New History of Ireland by Theodore William Moody, Francis John.