勧修寺 房子(かんじゅうじ ふさこ、生没年不詳)は、後土御門天皇の典侍。父は准大臣の勧修寺教秀。新大納言典侍局と称した。
准大臣の勧修寺教秀の娘として生まれる。母は権中納言の飛鳥井雅永の娘である[1]。
後土御門天皇が親王のときに内侍所に入り、1485年(文明17年)に典侍となる。新大納言典侍局と称した。天皇との間には4皇女(大慈光院宮・智円女王・理琇女王・即日没)を儲けた[2]。
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