勝部 謙造(かつべ けんぞう、1885年明治18年)3月14日 - 1964年昭和39年)12月16日)は、日本哲学者である[1][2]

経歴・人物

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島根県に生まれ[1][2]、京都帝国大学文科大学(京都大学大学院文学研究科・文学部)哲学科に入学する[1][2]1914年大正3年)に卒業後は京都府立第一中学校(現在の京都府立洛北高等学校・附属中学校)で教鞭を執り[2]1921年(大正10年)には広島高等師範学校(現在の広島大学)の助教授をへて教授を務めた[2]1930年(昭和5年)には文部省における留学生としてドイツに渡り[2]ゲッティンゲン大学に留学しヴィルヘルム・ディルタイの哲学を研究する[2]

1931年(昭和6年)に帰国後は研究した成果をドイツ語で執筆したことで文学博士を取得し[2]、後に広島文理科大学の教授となった[1][2]。その後は兵庫師範学校(現在の神戸大学教育学部)の校長を経て[1][2]島根大学の教育学部長を務める[1][2]1955年(昭和30年)には桃山学院の理事長を務め[2]桃山学院中学校・高等学校長も務めた[2]1959年(昭和34年)から1962年(昭和37年)までには桃山学院大学の初代学長を務め[1][2]、辞任後は名誉教授に認定された[2]

著書

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自著

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  • 『ディルタイの哲学』
  • 『新カント派の教育説』
  • 『現代哲学の根本問題』
  • 『国語解釈学』

訳書

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  • 『哲学の本質』- 原作はディルタイの著書[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 勝部謙造”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社). 2024年3月4日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 勝部 謙造”. 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ). 2024年3月4日閲覧。
公職
先代
谷本武夫
校長事務取扱
  島根大学島根師範学校長
1949年 - 1951年
次代
(廃止)
先代
植田義一
  島根大学島根青年師範学校長
1949年 - 1951年
次代
(廃止)
先代
正田隆
兵庫県師範学校長
佐伯千尋
兵庫県女子師範学校長
  兵庫師範学校長
1943年 - 1944年
次代
桜井役
先代
(新設)
兵庫県立御影中学校
1943年 - 1944年
次代
山本隆一
先代
津山三郎
  広島高等師範学校附属中学校主事
1936年 - 1938年
次代
河野通匡
学職
先代
(新設)
桃山学院大学
1959年 - 1962年
次代
小島昌太郎
先代
(新設)
  島根大学教育学部長
1949年 - 1955年
次代
植田義一
その他の役職
先代
小泉秀
学校法人桃山学院
1955年 - 1962年
次代
八代斌助
先代
小泉秀
学校法人桃山学院理事長
1955年 - 1956年
次代
八代斌助