勝政成
勝 政成(すぐる まさなり)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・旗本。
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 天正8年(1580年) |
死没 | 元和9年9月2日(1623年10月25日) |
別名 | 正就、梅乙、牛之助、次郎兵衛 |
戒名 | 法伝 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家康→秀忠 |
氏族 | 平氏 |
父母 | 父:勝政元 |
兄弟 | 梅若、政成 |
妻 | 伊勢貞末娘 |
子 | 政重、分部惣右衛門室、伊東五左衛門室 |
生涯
編集父・政元は北条氏康に仕えたが、後北条氏が豊臣氏に降伏した天正18年(1590年)に没した。政成は2歳年上の兄・梅若と共に徳川家康に召し抱えられ、大和国内に梅若が300石、自身も110石を領した。長じて馬廻に取り立てられ、関ヶ原の戦い、大坂の陣にも従軍した。
元和9年(1623年)徳川秀忠の上洛に従ったが、その帰路、増水した大井川の瀬踏みを命じられたが、その際に溺死した。
家督は嫡男・政重が継いだ。
出典
編集- 「寛政重修諸家譜」巻第1203