加藤泰行
加藤 泰行(かとう やすゆき)は、江戸時代中期の大名。別名は泰顕、泰英。伊予国大洲藩の第8代藩主。官位は従五位下・出羽守。
加藤泰行像(如法寺蔵) | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 宝暦3年6月27日(1753年7月27日) |
死没 | 明和6年5月8日(1769年6月11日) |
改名 | 作十郎、泰行 |
別名 | 泰顕、泰英 |
戒名 | 本源院殿天性宗真大居士 |
墓所 | 東京都台東区松が谷三丁目の海禅寺 |
官位 | 従五位下出羽守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治 |
藩 | 伊予大洲藩主 |
氏族 | 加藤氏(光泰系) |
父母 |
父:加藤泰衑、母:天涼院 養父:加藤泰武 |
兄弟 | 喜連川恵氏、泰行、溝口直英、泰候、泰豊、泰周、大関増業、稲垣長以正室、毛利高標正室、恭心院ら |
子 | 養子:泰候 |
略歴
編集第6代藩主・加藤泰衑の次男として誕生。幼名は作十郎。
明和5年(1768年)、先代藩主の加藤泰武の死去により跡を継ぐが、翌明和6年(1769年)5月8日、17歳で死去した。嗣子がなく、跡を弟の泰候が継いだ。法号は本源院殿天性宗真大居士。墓所は東京都台東区松が谷三丁目の海禅寺。