加茂川かもめ・ちどり
概要
編集てんのじ村の興行師兼漫才師、河内家目玉の娘。1940年長女みどりと次女ちどりでコンビを結成したが(ちどりの当時の芸名は大和つた子)、みどりが亡くなり、1957年次女と三女で戦後「加茂川かもめ・ちどり」を結成。
かもめがギター、ちどりがアコーディオンを持った音曲漫才。ちどりのアコーディオンは横山ホットブラザーズ創始者の横山東六から手ほどきされた。
あまり売れず、道頓堀角座に出たりする機会も少なかった。主に吉本の出番に出ていた。かもめの出産でコンビ解消。ともにすでに死去している。
メンバー
編集- 夫は若井けんじであったが後に離婚。
参考文献
編集- 「現代上方演芸人名鑑」(少年社、相羽秋夫、1980年)
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “大切な日”. 山口ひろみオフィシャルブログ (2021年3月25日). 2021年6月20日閲覧。
- ^ “歌謡(うた)のマドンナ 第3回 山口ひろみ デビューに隠された亡き母への想いとは”. リアルライブ. 内外タイムス (2016年3月11日). 2021年6月20日閲覧。
- ^ “母の命日に想うこと”. 山口ひろみオフィシャルブログ (2020年9月16日). 2021年6月20日閲覧。
- ^ 山口ひろみ情報 2007年04月19日