力武一郎
日本の教育者
力武 一郎(りきたけ いちろう、1907年5月6日[1] - 1994年9月9日)は、日本の教育者、山口大学第4代目学長[2]。同大学工業短期大学部元学長。専門はドイツ語[2]。
りきたけ いちろう 力武 一郎 | |
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生誕 | 1907年5月6日 |
死没 | 1994年9月9日(87歳没) |
国籍 |
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職業 |
山口県立医学専門学校(現・山口大学医学部)元講師 山口大学元学長 同大学工業短期大学部元学長 |
略歴
編集大学紛争時の1969年8月から1970年3月まで山口大学教養部長を務め[2]、その後、学長代行を経て、1971年4月に、2年間空席となっていた学長職に就き[4]、学長として1973年まで務めた[2]。
脚注
編集- ^ 「毎日年鑑」毎日新聞社 1977年、200頁
- ^ a b c d “力武一郎氏 死去=元山口大学長、ドイツ語専攻”. 毎日新聞・大阪朝刊: p. 25. (1994年9月12日) - 毎索にて閲覧
- ^ 山口大学の来た道3 山口高等商業学校から専門学校誕生まで
- ^ “山口大学長に力武氏 空席二年ぶりに埋まる”. 朝日新聞・東京朝刊: p. 19. (1971年3月2日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 小野忠煕「山口大学構内吉田遺跡の調査の経緯」