劉義 (城陽王)

漢代の皇族

劉義(りゅう ぎ)は紀元前2世紀、古代中国の前漢時代の城陽王である。生年不明。没年は元封3年(紀元前108年)。死後、敬王(けいおう)とされた。

父は城陽王の頃王劉延で、子に劉武がいた[1][2]。劉義は父の死により元狩6年(紀元前117年)に城陽王になったが、9年後の元封3年(紀元前108年)に死に、子の劉武が城陽王を嗣いだ[1][2]

脚注

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  1. ^ a b 『漢書』巻14、諸侯王表第2。斉悼恵王肥以下。
  2. ^ a b 『漢書』巻38、高五王伝第2。ちくま学芸文庫版『漢書』4、266頁。

参考文献

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