劉 恭(りゅう きょう、? - 310年)は、五胡十六国時代の漢(後の前趙)の皇族。劉淵の次子、生母は張氏(中国語版)で、劉聡の同母兄。字は玄門と伝わる。
父から某王に封じられたが、どこの王かは記されておらず、不詳である。
後に異母長兄の劉和が弟の劉聡によって妻子共々に殺害され、劉聡自らが即位した。だが、劉聡は兄弟の序列を飛び越えて即位したことを忌み嫌って、同母兄・劉恭の殺害を決意した。数日後の夜中に刺客を派遣し、劉恭が寝ている最中に壁の間から突き刺して惨殺した。
生母の張氏は衝撃の余り病に罹り、313年に逝去した。劉聡は、母の張氏に対して光献皇后の諡号を贈り、丁重に埋葬した。