前田利春
戦国時代の武将。尾張荒子城主
前田 利春(まえだ としはる、? - 永禄3年7月13日(1560年8月4日))は、戦国時代の武将、尾張国荒子城主。別名利昌(としまさ)。通称は蔵人、縫殿助。父は前田利隆とされるが、史料が乏しく実在したかどうかは疑問であり、利春は事実上の加賀藩前田家などの始祖にあたる。室は竹野氏の娘(長齢院)。子に前田利久、前田利玄、前田安勝、前田利家、佐脇良之、前田秀継、寺西九兵衛室。
絹本著色前田利春像 | |
生誕 | 不明 |
死没 | 永禄3年7月13日(1560年8月4日) |
別名 | 利昌 |
父母 |
父∶前田利隆 母∶不明 |
妻 | 正室∶長齢院 |
子 | 前田利久、前田利玄、前田安勝、前田利家、佐脇良之、前田秀継、寺西九兵衛室。 |
経歴
編集尾張国で林秀貞の与力として、織田氏に仕え、2千貫を知行して尾張愛知郡荒子城(名古屋市中川区)の城主を務める。
永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いの後に死去した。戒名は道機庵休岳居士。 跡を嫡男の利久が継いだ。墓所は石川県七尾市の長齢寺、肖像画も所蔵されている。