前橋二子山古墳(まえばしふたごやまこふん)は、群馬県前橋市文京町にある前方後円墳。「天川二子山古墳(あまがわ-)」とも。二子山児童公園に保存され、国の史跡に指定されている(指定名称は「二子山古墳」)。

前橋二子山古墳

全景(右に前方部、左に後円部)
所在地 群馬県前橋市文京町3-26
位置 北緯36度22分35.4秒 東経139度05分19.1秒 / 北緯36.376500度 東経139.088639度 / 36.376500; 139.088639
形状 前方後円墳
規模 墳丘長104m
高さ11m
埋葬施設 (推定)横穴式石室
出土品 埴輪
築造時期 6世紀中頃
被葬者 (推定)朝倉氏首長
史跡 国の史跡「二子山古墳」
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概要

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  • 墳丘全長104m
  • 後円部径72m[1]、高さ11m
  • 前方部幅76m、高さ9.5m

前橋台地の東端に位置し、前方部を西北に向ける。前橋天神山古墳八幡山古墳とともに朝倉・広瀬古墳群を構成する。

墳丘は二段築成で河原石の葺石がみられる。全長に比べ前方部の幅が大きく、くびれの少ない形をしている。埋葬施設は不明であるが、かつて石室の一部が崩落して開口したとの伝承がある。また、当古墳出土とされる人物埴輪が東京大学に所蔵されている[2]

昭和2年(1927年)に国の史跡に指定された。1980年94年に幅35mの周堀が調査され、覆土に6世紀中葉の降下火山灰であるHr-FPが堆積していたことから、6世紀中葉以前に築造された可能性が高い。

6世紀後半代に前橋台地に強大な勢力を誇った豪族、日本各地の大化の改新関連の記事に出てくる朝倉氏の祖父、あるいはその一族の有力豪族の墳墓とみられる[3]

萩原朔太郎の「二子山附近」という詩に本古墳が登場している。

脚注

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  1. ^ 大塚初重小林三郎編『続日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年、438頁。
  2. ^ 『図説日本の史跡 2 原始2』(同朋舎出版、1991)、p.79
  3. ^ 前橋市教育委員会文化財保護課『群馬の古墳時代はここから始まった 朝倉・広瀬古墳群』、2013年6月、12頁

関連項目

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外部リンク

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