前ノ山政三 (1931年生)
前ノ山 政三(まえのやま まさぞう、1931年7月2日 - 1973年4月8日)は、愛媛県八幡浜市堀川町出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は菊池 秀介(きくち ひですけ)。最高位は東前頭14枚目(1958年5月場所)。現役時代の体格は176cm、102kg。得意手は右四つ、寄り、上手投げ[1]。
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基礎情報 | ||||
四股名 | 前ノ川 → 佐田岬 → 前ノ山 政三 | |||
本名 | 菊池 秀介 | |||
生年月日 | 1931年7月2日 | |||
没年月日 | 1973年4月8日(41歳没) | |||
出身 | 愛媛県八幡浜市堀川町 | |||
身長 | 176cm | |||
体重 | 102kg | |||
BMI | 32.93 | |||
所属部屋 | 高砂部屋 | |||
得意技 | 右四つ、寄り、上手投げ | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東前頭14枚目 | |||
生涯戦歴 | 339勝342敗15休(50場所) | |||
幕内戦歴 | 54勝81敗(9場所) | |||
データ | ||||
初土俵 | 1947年5月場所 | |||
入幕 | 1955年9月場所 | |||
引退 | 1960年1月場所 | |||
備考 | ||||
2019年7月23日現在 |
来歴・人物
編集1931年、中国北東部の奉天市(現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽市、当時は満洲国の統治下にあった)附近で生まれ、第二次世界大戦の終結とともに愛媛県八幡浜市に引き揚げて来た。
15歳の時に高砂部屋へ入門し、1947年6月場所(※現在の5月場所に相当)で初土俵[1]。翌11月場所、「前ノ川」の四股名で序ノ口に付いた。
その後、1951年5月場所より故郷・愛媛の名所に因んだ「佐田岬」へ改名(師匠も現役時代、〈前田山〉を名乗る前は〈佐田岬〉を名乗っていた)。更に、1953年3月場所で新十両に昇進した際、同郷の大先輩であり師匠でもある高砂親方(元横綱・前田山)の現役名から2字取った「前ノ山」に四股名を改めた。
なお「前ノ山」の四股名は彼が2代目で、初代も同じ「前ノ山政三」を名乗った。こちらの方は名前の読みが「せいぞう」、秋田県出身で2代目と同じく高砂部屋に所属し、1946年から数年間幕内を務めた。
1955年9月場所で新入幕を果たし、以後は強い腕力を利しての右四つからの寄りや上手投げを武器に、主に幕内下位から十両で活躍した。相手と正対せず、斜めを向く変則仕切り(斜め仕切り)で人気があった[1]。4度目の入幕場所に於いて、自身初となる幕内での勝ち越しを決めた[1]。
現役晩年は幕下4枚目まで陥落し、1960年1月場所を最後に28歳で廃業[1]。
廃業後は帰郷し、松山市で相撲料理店を営んだ。
1973年4月8日、逝去。享年41。
エピソード
編集主な戦績
編集- 通算成績:339勝342敗15休 勝率.498
- 幕内成績:54勝81敗 勝率.400
- 現役在位:50場所(※初土俵を踏んだ、1947年6月場所を含む)
- 幕内在位:9場所
場所別成績
編集一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1947年 (昭和22年) |
x | x | 新序 2–3 |
x | x | 東序ノ口8枚目 2–4 |
1948年 (昭和23年) |
x | x | 東序ノ口2枚目 3–3 |
x | 東序二段23枚目 4–2 |
x |
1949年 (昭和24年) |
東序二段2枚目 3–9 |
x | 東序二段12枚目 8–7 |
x | 西序二段筆頭 9–6 |
x |
1950年 (昭和25年) |
西三段目24枚目 10–5 |
x | 西三段目6枚目 8–7 |
x | 西三段目4枚目 7–8 |
x |
1951年 (昭和26年) |
西三段目5枚目 9–6 |
x | 西幕下28枚目 8–7 |
x | 東幕下23枚目 9–6 |
x |
1952年 (昭和27年) |
西幕下14枚目 11–4 |
x | 東幕下4枚目 2–2–11 |
x | 東幕下14枚目 11–4 |
x |
1953年 (昭和28年) |
西幕下筆頭 9–6 |
東十両17枚目 6–9 |
東十両20枚目 7–8 |
x | 東幕下筆頭 5–3 |
x |
1954年 (昭和29年) |
東十両21枚目 10–5 |
東十両10枚目 6–9 |
東十両14枚目 6–9 |
x | 西十両20枚目 10–5 |
x |
1955年 (昭和30年) |
西十両9枚目 8–7 |
西十両7枚目 10–5 |
西十両2枚目 11–4 |
x | 東前頭17枚目 4–11 |
x |
1956年 (昭和31年) |
東十両2枚目 7–8 |
東十両3枚目 7–8 |
西十両3枚目 8–7 |
x | 東十両2枚目 9–6 |
x |
1957年 (昭和32年) |
東前頭21枚目 4–11 |
西十両4枚目 10–5 |
東前頭23枚目 7–8 |
x | 西十両筆頭 8–7 |
西前頭18枚目 8–7 |
1958年 (昭和33年) |
東前頭17枚目 7–8 |
東前頭18枚目 8–7 |
東前頭14枚目 7–8 |
西前頭15枚目 6–9 |
東前頭18枚目 3–12 |
西十両5枚目 5–10 |
1959年 (昭和34年) |
西十両10枚目 7–8 |
西十両10枚目 7–8 |
西十両11枚目 5–10 |
東十両17枚目 7–8 |
東十両18枚目 9–6 |
西十両12枚目 0–11–4 |
1960年 (昭和35年) |
東幕下4枚目 引退 2–6–0 |
x | x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
編集力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | |||
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天津灘 | 1 | 1 | 泉洋 | 2 | 3 | 大内山 | 1 | 0 | 大瀬川 | 1 | 3 | |||
大起 | 0 | 3 | 大ノ浦 | 2 | 0 | 大晃 | 1 | 2 | 小城ノ花 | 2 | 3 | |||
小野錦 | 1 | 1 | 大蛇潟 | 1 | 1 | 海山 | 0 | 3 | 金ノ花 | 1 | 1 | |||
神生山 | 0 | 1 | 神錦 | 2 | 2 | 起雲山 | 0 | 1 | 北ノ洋 | 0 | 1 | |||
清恵波 | 1 | 3 | 鬼竜川 | 2 | 2 | 鯉の勢 | 2 | 4 | 櫻國 | 0 | 1 | |||
潮錦 | 3 | 1 | 清水川 | 2 | 0 | 太刀風 | 1 | 0 | 楯甲 | 0 | 1 | |||
常錦 | 1 | 1 | 鶴ヶ嶺 | 0 | 1 | 出羽錦 | 1 | 2 | 出羽ノ花 | 0 | 1 | |||
出羽湊 | 2 | 0 | 富樫 | 0 | 1 | 時津山 | 0 | 1 | 時錦 | 0 | 2 | |||
鳴門海 | 2 | 0 | 成山 | 2 | 2 | 白龍山 | 3 | 0 | 羽嶋山 | 0 | 1 | |||
羽子錦 | 2 | 0 | 緋縅 | 1 | 1 | 平ノ戸 | 0 | 1 | 広瀬川 | 0 | 3 | |||
福ノ海(福乃海) | 0 | 5 | 福乃里 | 2 | 0 | 双ツ龍 | 2 | 0 | 星甲 | 0 | 6 | |||
三根山 | 0 | 2 | 八染 | 3 | 3 | 吉井山 | 1 | 2 | 芳野嶺 | 2 | 3 | |||
若瀬川 | 1 | 1 | 若秩父 | 0 | 1 | 若ノ海 | 0 | 1 | 若葉山 | 1 | 1 |
改名歴
編集- 前ノ川(まえのかわ、1947年11月場所-1951年1月場所)
- 佐田岬(さだみさき、1951年5月場所-1953年1月場所)
- 前ノ山 政三(まえのやま まさぞう、1953年3月場所-1960年1月場所)
関連項目
編集参考文献
編集- 『戦後新入幕力士物語 第二巻』(著者:佐竹義惇、ベースボール・マガジン社刊、1990年)p65-p67
脚注
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