京山幸枝若 (初代)
日本の大正時代末期~平成時代前期の浪曲師
(初代京山幸枝若から転送)
初代 京山幸枝若(きょうやま こうしわか、1926年(大正15年)8月10日 - 1991年(平成3年)6月24日)は浪曲師。本名は小椋 喬。
初代 | |
京山幸枝若定紋「丸に釘抜き」 | |
本名 | 小椋 喬 |
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生年月日 | 1926年8月10日 |
没年月日 | 1991年6月24日(64歳没) |
師匠 | 2代目京山幸玉 初代京山幸枝 |
名跡 | 1.京山幸太郎(? - 1941年) 2.京山幸枝若(1941年 - 1991年) |
活動期間 | - 1991年 |
家族 | 加茂川燕楽 加茂川蘭子 華ゆり |
人物
編集父は浪曲師の加茂川燕楽で母は加茂川蘭子で妹には浪曲漫才のフラワーショウの華ゆりがいる。
そのため、幼い頃から厳しい修行を受け全国を巡業、学歴は小学校1年1学期だけである。
5歳(6歳とも)で初舞台を踏む。
当初は2代目京山幸玉の門下で13歳の時に初代京山幸枝門下となり、幸太郎と名乗り、1941年には京山幸枝若と名乗った。
戦後は、山県隆の名で地方巡業をしている時に幸枝に知られ、再び幸枝若を名乗り、1953年に姫路に戻る。
師匠譲りの読み物を持ち前の美声で語り、人気を博した。
大阪の民謡である江州音頭や河内音頭でそれぞれ京山幸枝若節を確立。
また創作浪曲にも力を入れた。
若者向けの番組に主演したり、桜川唯丸や漫才師やロックバンドのヒカシュー等と一緒に舞台をやったりするなど、浪曲の古いイメージからの脱却を図ったこともある。
またギターを近江吾朗が務めた。
歌謡浪曲を競い合った時代の一人である。
なお、タコが入っていないたこ焼きが好きであった。
賞歴
編集役員歴
編集十八番の読み物
編集歌
編集以下の作品は、テイチクから発売。
以下の作品は、ローオンレコードから発売。
- 小鉄ざくら/極道
弟子
編集ほか