切目王子

和歌山県印南町にある神社

切目王子(きりめおうじ)は和歌山県日高郡印南町にある神社。九十九王子の一つで、五体王子の一社(『紀伊続風土記[1])。ナギを神木とし、本地仏十一面観音(『熊野縁起』仁和寺蔵、正中元年〈1326年[2])。県指定史跡(1959年昭和34年〉1月8日指定)[3]

切目王子
所在地 和歌山県日高郡印南町西ノ地328
位置 北緯33度48分9.5秒 東経135度13分54秒 / 北緯33.802639度 東経135.23167度 / 33.802639; 135.23167座標: 北緯33度48分9.5秒 東経135度13分54秒 / 北緯33.802639度 東経135.23167度 / 33.802639; 135.23167
主祭神 天照大神
正哉吾勝速日天忍穂耳尊
天津彦彦瓊瓊杵尊
彦火火出見命
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊
社格 村社
創建 崇神天皇
例祭 10月第3日曜日
テンプレートを表示

歴史

編集

創建年代は社伝によれば崇神天皇の代にさかのぼるとされ[2]熊野権現が一時鎮座した地であったとも言う(『長寛勘文[4])。

中右記天仁2年(1109年)10月20日条に「切部水辺」で祓いを行った後、王子社に奉幣したとあり、他にも『吉記承安4年(1174年)9月27日条や「熊野道之間愚記」(『明月記』所収)建仁元年(1201年)10月13日条には参詣後に宿所で歌会を催したとあるなど、多くの中世熊野参詣記に記録が見られる[2][5]。また、『平治物語』によると、熊野詣の途上にあった平清盛が、源義朝挙兵の報を受けてに引き返したのもこの王子であった[5]。中世以降も『太平記』(巻5「大塔宮熊野落事」)等に熊野詣の途上に切目王子に参詣したとの記述が見受けられ[6]、『紀伊続風土記』は境内摂社として大塔宮社があったと記している[1]

中世熊野詣では参詣の途上で歌会が催された例が参詣記に登場する。そうした歌会の折に参会した人々が歌を書き付けた紙を熊野懐紙といい、約30通が現存する[7]。それらのうち、11通は正治2年(1200年)12月3日、後鳥羽院が切目王子で開いた歌会でのもので[7][8]、今日では西本願寺に所蔵されており[6]、当地には写本が残されている[9]

天正13年(1585年)に兵火によって社伝が焼失したが、ある比丘尼が7ヶ月で再興したと伝え、熊野参詣道をはさんで向かい側にある妙法山尼屋敷という地が比丘尼の房であったという(『紀伊続風土記』[10])。寛文2年(1663年)、紀州藩徳川頼宣から御戸帳・絵馬などが寄進され、貞享3年(1686年)には社殿が再建され[10]、今日まで現存する[6]。近世の社地は境内方一、拝殿は奥行き5間半・幅2間と伝えられる(『紀伊続風土記』[1])。現社殿は、拝殿は1908年明治41年)の再建[6]

伝説

編集

切目王子には「きな粉の伝説」という伝説が伝えられている。もともとは『宝蔵絵詞』に記載されたもので、那智叢書所引にしたがえば、おおむね以下のようなものである[11]。その昔、僧を殺した切部の王子は、捕らえられて右足を切られて山に追放された。ところが王子は、熊野詣の帰途にある者たちから熊野権現の利生を奪うようになり、参詣者たちを嘆かせた。そこで熊野権現は稲荷大明神と相談し、きな粉で化粧した者には害を及ぼさない旨を約束させた。その後、御託宣があり、参詣者たちはきな粉で化粧をするようになった。この化粧は実際に行われていたものとみえ、応永34年(1427年)の『熊野詣日記』に額や鼻、頬、おとがいなどにきな粉をつけて王子社の前を通過したとの記述が見える[11]

文化財

編集
  • 切目王子跡 - 県指定史跡(1959年〈昭和34年〉1月8日指定)[3]
  • 切目神社のほるとのき - 幹周約4メートル、根廻り6メートル、高さ約16メートル、樹齢約300年余と推定される巨樹で、近隣の人々に崇敬されたと伝えられる[9]。県指定天然記念物(1959年〈昭和34年〉1月8日指定)[3]

交通機関

編集
  1. ^ a b c 西[1987: 134]
  2. ^ a b c 平凡社[1997: 228]
  3. ^ a b c 県指定文化財・記念物”. 和歌山県教育委員会. 2009年3月28日閲覧。
  4. ^ 五来 重、1992、『山の宗教 - 修験道講義』、角川書店 ISBN 4047032239
  5. ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会[1985: 367]
  6. ^ a b c d 平凡社[1997: 229]
  7. ^ a b 熊野路編さん委員会、1973、『古道と王子社 - 熊野中辺路』、熊野中辺路刊行会(くまの文庫4)p.81
  8. ^ 平凡社[1997: 228-229]
  9. ^ a b 3. 切目王子跡・5. 切目神社のホルトノキ”. 印南町教育課. 2009年3月28日閲覧。
  10. ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会[1985: 368]
  11. ^ a b 谷川[2000: 360-361]

文献

編集

関連項目

編集
斑鳩王子) ‐ 切目王子 ‐ (切目中山王子

外部リンク

編集
九十九王子一覧
城南宮 八軒家船着場 窪津王子 坂口王子 郡戸王子 上野王子 阿倍王子 津守王子 境王子 大鳥居王子
篠田王子 平松王子 井ノ口王子 池田王子 麻生川王子 近木王子 鞍持王子 鶴原王子 佐野王子 籾井(樫井)王子
厩戸王子 信達一ノ瀬王子 長岡王子 地蔵堂王子 馬目王子 中山王子 山口王子 川辺王子 中村王子 吐前王子
川端王子 和佐王子 平緒王子 奈久知王子 松坂王子 松代王子 菩提房王子 藤代王子 藤白塔下王子 橘本王子
所坂王子 一壷王子 蕪坂王子 山口王子 糸我王子 逆川王子 久米崎王子 井関(津兼)王子 河瀬王子 馬留王子
沓掛王子 馬留王子 内ノ畑王子 高家王子 善童子王子 愛徳山王子 九海士王子 岩内王子 塩屋王子 上野王子
津井王子 斑鳩王子 切目王子 切目中山王子 岩代王子 千里王子 三鍋王子 芳養王子 出立王子 秋津王子
万呂王子 三栖王子 八上王子 稲葉根王子 一ノ瀬王子 鮎川王子 滝尻王子 不寝王子 大門王子 十丈王子
大坂本王子 近露王子 比曽原王子 継桜王子 中ノ河王子 小広王子 熊瀬川王子 岩神王子 湯川王子 猪鼻王子
発心門王子 水呑王子 伏拝王子 祓戸王子 本宮大社 湯ノ峯王子 速玉大社 浜王子 佐野王子 浜の宮王子
市野々王子 多富気王子 那智大社 ■Template