函館駐屯地
北海道にある陸上自衛隊の駐屯地
函館駐屯地(はこだてちゅうとんち、JGSDF Camp Hakodate)は、北海道函館市広野町6-18に所在し、第28普通科連隊等が駐屯する陸上自衛隊の駐屯地である。
函館駐屯地 | |
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位置 | |
所在地 | 北海道函館市広野町6-18 |
座標 | 北緯41度46分47秒 東経140度46分07秒 / 北緯41.77972度 東経140.76861度座標: 北緯41度46分47秒 東経140度46分07秒 / 北緯41.77972度 東経140.76861度 |
概要 | |
駐屯地司令 | 第28普通科連隊長 |
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開設年 | 1950年 |
概要
編集北海道最南端の駐屯地で、北海道南部の陸上交通の結節・終着点であり、国際海峡(特定海域)である津軽海峡を眼前に望む。
駐屯地司令は、第28普通科連隊長が兼務。最寄の演習場は、駒ケ岳演習場(茅部郡鹿部町)。
冷戦期の1976年にはソ連から亡命してきたMiG-25戦闘機が函館空港に強行着陸するベレンコ中尉亡命事件が発生し、ソ連特殊部隊(スペツナズ)の奪還作戦に備えて極秘裏に出動体制を整えていたとの説がある。
資料館が設置されている[1]。
沿革
編集日本陸軍
- 陸軍砲兵練兵所
警察予備隊函館駐屯地
- 1950年(昭和25年)10月15日:東千歳駐屯地で編成された部隊(1000人)が函館駐屯地に移駐し函館駐屯地が開設。
- 1951年(昭和26年)
- 1952年(昭和27年)1月19日:第5連隊第3大隊が第4連隊第3大隊に改称。
保安隊函館駐屯地
- 1952年(昭和27年)
- 1953年(昭和28年)
- 3月12日:第400警務大隊第2警務中隊函館派遣隊設置(後に第101地区警務隊函館派遣隊)。
- 9月1日:函館駐屯地業務隊が編成完結。
- 10月5日:第4連隊第3大隊が釧路駐屯地に移駐。
陸上自衛隊函館駐屯地
- 第1新隊員教育隊を第101教育大隊に改編。
- 第2新隊員教育隊を廃止。
- 1962年(昭和37年)
- 8月3日:第28普通科連隊が滝川駐屯地から移駐。
- 8月11日:
- 1964年(昭和39年)3月31日:第311地区施設隊が高田駐屯地から移駐。
- 1971年(昭和46年)7月3日:東亜国内航空「ばんだい号」が横津岳に墜落、災害派遣。
- 1976年(昭和51年)9月6日:MiG-25が函館空港に強行着陸する(ベレンコ中尉亡命事件)。
- 1988年(昭和63年)3月25日:第311地区施設隊を第343施設中隊に改編。
- 1993年(平成 5年)7月12日:北海道南西沖地震、奥尻島に災害派遣。
- 1996年(平成 8年)3月29日:第11師団の改編に伴い、第28普通科連隊第4普通科中隊及び第343施設中隊が倶知安駐屯地に移駐。
- 2006年(平成18年)3月27日:中央輸送業務隊青函地区隊の廃止に伴い、第3移動支援隊を新編。
- 2008年(平成20年)3月26日:第11師団の旅団化に伴う駐屯部隊改編及び移駐。
- 2017年(平成29年)
- 9月19日:敷地内に地対空誘導弾パトリオットミサイル(PAC3)部隊を配備[4]。
- 9月27日:小野寺五典防衛相が視察[5]。
駐屯部隊
編集北部方面隊隷下部隊
編集- 第11旅団
- 北部方面システム通信群
- 第101基地システム通信大隊
- 第314基地通信中隊
- 函館派遣隊
- 第314基地通信中隊
- 第101基地システム通信大隊
- 北部方面会計隊
- 第332会計隊
- 函館駐屯地業務隊
防衛大臣直轄部隊
編集- 警務隊
- 北部方面警務隊
- 第120地区警務隊
- 函館派遣隊
- 第120地区警務隊
- 北部方面警務隊
共同の機関
編集- 自衛隊函館地方協力本部 - (函館駐屯地の隣接地である函館市広野町6-25に所在しており、道南地域援護センターと地本用車両は駐屯地内にある)
- 函館地区隊
- 道南地域援護センター
最寄の幹線交通
編集重要施設
編集脚注
編集- ^ 「函館駐屯地」公式サイト参照、2019年3月29日
- ^ 自衛隊法施行令(昭和29年政令第179号)
- ^ “自衛隊法施行令(昭和29年政令第179号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 2016年6月19日閲覧。
- ^ 田中陽介、半澤孝平 (2017年9月20日). “函館駐屯地にPAC3配備 防衛省、北ミサイルに対応”. 函館新聞 2017年10月14日閲覧。
- ^ 半澤孝平 (2017年9月28日). “「万全の備え必要」 防衛相、陸自機事故慰霊とPAC3部隊視察”. 函館新聞 2017年10月14日閲覧。