北海道函館中部高等学校

北海道函館市にある公立高校
函館中部高校から転送)

北海道函館中部高等学校(ほっかいどうはこだてちゅうぶこうとうがっこう、: Hokkaido Hakodate Chubu High School)は、北海道函館市にある公立(道立)の高等学校

北海道函館中部高等学校
地図北緯41度46分58.8秒 東経140度45分9.6秒 / 北緯41.783000度 東経140.752667度 / 41.783000; 140.752667座標: 北緯41度46分58.8秒 東経140度45分9.6秒 / 北緯41.783000度 東経140.752667度 / 41.783000; 140.752667
過去の名称 函館尋常中学校
函館中学校
北海道庁立函館中学校
北海道立函館高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 北海道の旗北海道
学区 北海道渡島(全日制のみ)
理念 白楊魂
校訓 不撓不屈
質実剛健
堅忍不抜
自由闊達
自主自立
設立年月日 1895年3月14日
開校記念日 5月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科理数科
学期 2学期制(全日制)
3学期制(定時制)
学校コード D101220200011 ウィキデータを編集
高校コード 01132A
所在地 040-0012
北海道函館市時任町11-3
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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北海道函館中部高等学校の位置(北海道内)
北海道函館中部高等学校

概要

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1895年創設の旧制函館尋常中学校、1899年設置旧制函館中学校を前身とする。道内で、公立の中では最初に開校した旧制中学校である。

アクセス

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沿革

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  • 1895年4月1日 - 函館尋常中学校として創設される。
  • 1899年 - 中学校令の改正により函館中学校と改称する。
  • 1901年 - 北海道庁立函館中学校となる。
  • 1948年 - 新学制実施にともない北海道立函館高等学校として発足する。
  • 1950年 - 北海道函館中部高等学校として再発足、男女共学化する。
  • 1972年 - 制服廃止。服装が自由化する。
  • 1995年 - 創立100周年。
  • 2003年 - 文部科学省から3年間の「スーパーイングリッシュランゲージハイスクール(SELHi)」研究指定校として指定を受ける。
  • 2005年 - 創立110周年記念式典が敢行される。
  • 2015年10月17日 - 創立120周年記念式典が敢行される。
  • 2020年 - 文部科学省から5年間の「スーパーサイエンスハイスクール(SSH)」指定校として指定を受ける。
  • 2021年 - 普通科6クラスから5クラスに減。
  • 2022年 - 普通科5クラスから4クラスに減。理数科が1クラス、5組に新設置された。

行事

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  • 5月 - 耐久レース(森町のグリーンピア大沼で開催されるマラソンで、男子8.2km 女子6kmの距離を走る。)
  • 7月 - 白楊祭(文化祭で3日間続く。)
  • 8月 - 校内水泳大会
  • 9月 - 校内体育大会
  • 11月 - 柔道大会(カリキュラム変更により2019年よりなくなった。)

部活動

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  • 野球部は、全国中等学校優勝野球大会に2度出場しているが、第7回大会出場時は甲子園球場完成前、第28回大会出場時は甲子園球場が連合軍に接収されていたため、「甲子園の土」を踏んでいない。
  • 水泳部が1925年の第2回全国中等学校水上競技大会(現:インターハイ)で全国制覇を達成している[1]

白楊会館

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函中100年記念会館

著名な出身者

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政界

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官界

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  • 野田清(海軍中将・大本営海軍報道部長)【6期】
  • 薄田美朝(元鹿児島県知事、元警視総監)【16期】
  • 富田朝彦(元内閣調査室長、元宮内庁長官)【40期】

法曹界

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スポーツ界

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経済界

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学界

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文化界

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芸能界

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※出典:「写真集 白楊ヶ丘 九十周年」1986年2月10日発行 ※出典:白楊ヶ丘同窓会 会員名簿「白楊」

脚注

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関連項目

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外部リンク

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