冷泉為秀
鎌倉時代後期~南北朝時代の公卿、歌人。冷泉為相の次男。従二位・権中納言。勅撰集『風雅和歌集』以下に26首入集。冷泉家2代。子に冷泉為邦
冷泉 為秀(れいぜい ためひで)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿・歌人。官位は従二位・権中納言。冷泉家2代当主。
冷泉為秀肖像(土佐光芳画) | |
時代 | 鎌倉時代後期 - 南北朝時代 |
生誕 | 不詳 |
死没 | 応安5年6月11日(1372年7月12日) |
改名 | 為秀→松峯(号) |
戒名 | 秀宅 |
官位 | 従二位、権中納言 |
氏族 | 冷泉家 |
父母 | 父:冷泉為相 |
兄弟 | 為成、為秀、久明親王妃、女子三人 |
子 | 為邦、為尹 |
経歴
編集正二位権中納言・冷泉為相の子として誕生。公卿であったが鎌倉に在住する事が長かった。
歌人として優れていたようで梵灯庵や今川貞世、鎌倉公方の足利基氏に和歌を教授した。また、勅撰集・風雅和歌集の編纂では正親町公蔭らと寄人を務め、貞和6年(1350年)の年中行事歌合では判者を務めた。
系譜
編集脚注
編集- ^ 為尹は為邦の子で為秀の養子になったとする説もある。