冨金原徹
冨金原 徹(ふきんばら とおる、1982年10月18日 - )は、神奈川県出身の元フットサル選手。ポジションはゴレイロ。フットサル日本代表。日本体育大学卒業。機動力に定評がある。
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名前 | ||||||
愛称 | とおる | |||||
ラテン文字 | Toru FUKINBARA | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1982年10月18日(42歳) | |||||
出身地 | 神奈川県 | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | ゴレイロ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
バルドラール浦安 | ||||||
2008-2011 | 湘南ベルマーレ | |||||
2011-2016 | デウソン神戸 | |||||
2016-2018 | シュライカー大阪 | |||||
代表歴 | ||||||
2011- | 日本 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集神奈川県出身。神奈川県立金井高等学校、日本体育大学卒業。2007年にFリーグが発足すると湘南ベルマーレに加入。2007年シーズン開幕戦のバサジィ大分戦でデビュー。2010-11シーズンは22試合出場2得点。
2009年にミゲル・ロドリゴが日本代表の監督に就任すると、東アジアフットサル選手権2009に出場。この大会で日本代表は若手を積極的に招集しており、冨金原の他には藤原潤と篠田龍馬が選ばれた。2010年には川原永光、藤原とともに2010 AFCフットサル選手権に出場。2012年には川原、藤原とともに2012 FIFAフットサルワールドカップに出場。鈍足の川原が絶対的な守護神だったが、ウクライナ戦では起動力やスローイングを買われ、パワープレー時に小曽戸允哉(FP)と併用された[1]。
2011年にデウソン神戸に移籍。2013年にはスペインに短期留学した。2015年10月9日、府中アスレティックFC戦でFリーグ通算200試合出場(23人目)を達成した[2]。
2016年4月1日、シュライカー大阪に移籍した[3]。2018年に現役引退した。
その後、株式会社FABRIC TOKYOに入社。
所属クラブ
編集サッカー
編集フットサル
編集代表選出歴
編集- フットサル日本代表(2011年、2012年)
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | オーシャン杯 | 全日本選手権 | 期間通算 | |||||||
2008-09 | 湘南 | 17 | Fリーグ | ?? | ? | ||||||
2009-10 | ?? | ? | |||||||||
2010-11 | ?? | ? | |||||||||
2011-12 | 神戸 | 1 | ?? | ? | |||||||
2012-13 | ?? | ? | |||||||||
2013-14 | 33 | 0 | |||||||||
2014-15 | 28 | 1 | |||||||||
2015-16 | |||||||||||
通算 | 日本 | Fリーグ | |||||||||
日本 | |||||||||||
総通算 |
脚注
編集- ^ 4戦目で出場機会を得たGK冨金原「W杯の大きさを感じた」ゲキサカ 2012年11月12日
- ^ 冨金原徹選手(神戸)Fリーグ通算200試合出場達成 Fリーグ 2015年10月9日
- ^ 新加入選手のお知らせ シュライカー大阪 2016年4月1日
参考
編集- 戸塚啓「サッカー日本代表が辿った道程へ フットサルW杯の健闘が残したもの。」Sports Graphic Number 2012年11月12日