冨持神社
冨持神社(ふじじんじゃ)は、京都府京丹後市大宮町上常吉入船山に所在する神社。富持神社とも記載され、読みも(とみもちじんじゃ)とも記載される。旧村社であり、上常吉地区東方部の氏神である[1]。細川藤孝、常吉城主山城守が厚く守護した[2]。
冨持神社 | |
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所在地 | 京都府京丹後市大宮町上常吉小字入船山 |
位置 | 北緯35度32分56.5秒 東経135度04分50秒 / 北緯35.549028度 東経135.08056度座標: 北緯35度32分56.5秒 東経135度04分50秒 / 北緯35.549028度 東経135.08056度 |
主祭神 |
天叢雲命 椎根津彦命 |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 不明 |
例祭 | 10月10日 |
地図 |
名称
編集古くは加茂大明神を祀り、「加茂神社」と称したが、明治14年11月29日に「冨持神社」(ふじじんじゃ)へ改称した記述が『中郡神社明細帳』にある[2]。この際、境内社の「蛭子神社」を「加茂神社」と改称、「ふじ(木偏に元)岡神社」を「咋岡神社」(くいおかじんじゃ)とも改称した[2][3]。
境内
編集1940年(昭和15年)に皇紀2600年を記念して本殿を新築、1951年(昭和26年)に本殿上屋と拝殿を新築した[2]。2社の境内社、加茂神社と咋岡神社を、1940年(昭和15年)の本殿新築の際に移築し、本殿上屋の中に祀る[3]。「富持神社」の額のかかる鳥居1基、灯籠3対、狛犬1対、「二十三夜」「山神」の石塔があり、いずれも明治時代に村民の寄進を受けて献立された[2]。
境外社に、鎮火を祈念し、火産霊命を祭神とする秋葉神社(上常吉小字大河内所在)がある[3]。秋葉神社には、明治17年7月26日にもとは小字本地にあった稲荷神社を移転している[3]。
境内社
編集- 加茂神社(かもじんじゃ)
- 咋岡神社(くいおかじんじゃ)
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鳥居
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手水
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狛犬吽
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山の神(左)と二十三夜石碑(右)
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本殿横の境内社
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拝殿の濠
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冨持神社から見た上常吉集落
祭神
編集天叢雲命は高天原より神水を持って地上に降りた神で、中臣氏の祖神。
しかし冨持神社では、「天叢雲」は文字通り「高い山に立ちこめる雲」の意で用いられ、神霊の宿る山として、対面する磯砂山を崇めたものと考えられている[2]。『中郡神社明細帳』によれば、磯砂山の真名井であるとされる[2]。
また、『中郡神社明細帳』は、冨持神社は五穀を培養し御饌を奉仕するとも記録しており、本来の祭神は丹後地方で広く信仰される食物・穀物を司る女神である豊受大神であると推定される[2]。冨持神社と同じ音を持つ近在の峰山町鱒留の藤社神社(ふじこそじんじゃ)、但馬地方出石の比遅神社(ひじじんじゃ)も同じく豊受大神を祭神とする[2]。
祭祀
編集例祭は、かつては加茂大明神として9月18日に祭礼を執り行ったが、20世紀においては10月10日を祭日とし、神輿と太刀振りを奉納する[2]。神職は20世紀後半時点で峰山町丹波小字涌田山の多久神社神職が兼務する[2]。
宵祭(本祭前日)に神輿に氏神を迎え入れて御倉に納めておき、本祭の午後から祭礼を執り行う[5]。町内巡行は傘鉾を先頭に幟、太刀の道振り、神輿が続く。神輿は半被に白足袋姿の20余名で担く[5]。太刀振りは肌着にたっつけ袴、白足袋、襷、鉢巻き姿で、小学3年生くらいから中学生以下の年少組が道振りを担い、社前で奉納する宮振りは高校生以上成人の年長組が担う[5]。宮振りには「一の太刀」「二の太刀」「三の太刀」の3通りがあり、数字が増えるほど難易度が上がるため、順次古参の熟練者が演じる[5]。
1927年(昭和2年)の丹後大震災以前には「しゃんぎり」と称する囃子も行われ、陣太鼓、締太鼓、鉦、三味線、横笛で賑やかす華やかな行事であったと伝えられるが、久しく途絶えている[5]。
所在地
編集参考文献
編集- 大宮町誌編纂委員会『大宮町誌』大宮町役場、1982年
外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、冨持神社に関するカテゴリがあります。