冨士野 勉寿(ふじの かつとし、1920年大正9年)1月7日 - 没年不明)は、日本実業家。社団法人日本宅地造成協会理事長。国分寺ロータリークラブ会長。

ふじの かつとし

冨士野 勉寿
生誕 (1920-01-07) 1920年1月7日
日本の旗 日本
大阪府大阪市
死没 没年不明
出身校 大阪市立東商業高等学校卒業
職業 実業家
冨士野林蔵(父親)
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大阪市立東商業高等学校卒業。大阪府大阪市出身。

生涯

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冨士野林蔵の5男として大阪府大阪市で生まれ、大阪市立東商業高等学校を卒業[1]

国分寺市に本社を置く冨士土地の相談役や池袋川崎各支店協会の顧問を務め、社団法人日本宅地造成協会を創立し、初代理事長に就任[2][3]

1966年昭和41年)に国分寺市社会福祉協議を創立し、初代会長に就任[4][1]。また1971年(昭和46年)に国分寺ロータリークラブ会長に就任し1972年(昭和42年)まで務め、任期中に国分寺青年会議所を設立した[1]

脚注

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  1. ^ a b c 交詢社,1970年『日本紳士録』
  2. ^ 33年、第260回数えた冨士土地「聖書と人生」 「弱さの中に神が働かれる」”. クリスチャン新聞. 2024年9月4日閲覧。
  3. ^ 1963年,内閣官報局『法令全書』
  4. ^ 1968年,実業之日本社『首都圈宅地情報総覧 昭和 43年-46年』