円福寺 (名古屋市熱田区)

名古屋市熱田区にある寺院

円福寺(えんぷくじ)は、愛知県名古屋市熱田区神戸町にある時宗寺院

円福寺
所在地 愛知県名古屋市熱田区神戸町301番地
位置 北緯35度7分18.6秒 東経136度54分24.2秒 / 北緯35.121833度 東経136.906722度 / 35.121833; 136.906722座標: 北緯35度7分18.6秒 東経136度54分24.2秒 / 北緯35.121833度 東経136.906722度 / 35.121833; 136.906722
山号 亀井山
宗旨 時宗
宗派 時宗四条派
寺格 旧中本寺(四条派)
本尊 木造阿弥陀如来立像
中興 厳阿
別称 亀井道場
文化財 永享四年連歌懐紙、尾張円福寺文書
法人番号 2180005000364 ウィキデータを編集
円福寺 (名古屋市熱田区)の位置(愛知県内)
円福寺 (名古屋市熱田区)
円福寺 (名古屋市熱田区)の位置(名古屋市内)
円福寺 (名古屋市熱田区)
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概略

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時宗四条派の四条道場金蓮寺の末寺で、浄信寺引接寺善通寺とともに四条派御四箇寺と呼ばれる中本寺であった。当寺から金蓮寺の四条上人になる例も多かった。

歴代住職は厳阿(ごんな)を称する。

沿革

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元々は天台宗寺院であったが、足利氏の一族であるという厳阿が、遊行2代他阿真教に帰依して時宗に改めたという。境内の甲羅が出てきた井戸がある霊域であることによって亀井道場または亀井山と号する。近世には芝居興行権を持つ寺であった[1]

足利尊氏も祈願所として堂宇を建立したといわれる。

永享4年(1432年)9月、足利義教は富士遊覧のため下向した際、この寺に3日間逗留し、連歌会を催した。

1945年熱田空襲により寺宝の大部分を焼失した。

熱田神宮西南角にあるように、神宮とは関係が深く、神宮宝物館に伝わる『日本書紀』熱田本(重要文化財)は、室町時代前期に当寺厳阿が仲介して四条道場浄阿が寄進したものである[2]

文化財

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交通アクセス

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旧末寺

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脚注

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  1. ^ 愛知エースネット
  2. ^ 日本書紀(紙背和歌懐紙)附承和三年霜月四日寄進状 一巻
  3. ^ 永享四年連歌懐紙
  4. ^ 尾張円福寺文書
  5. ^ データベース検索