円卓会議 (秘密結社)
円卓会議(ラウンド・テーブル)とは、1891年に、イギリス(大英帝国)と南アフリカにかけて結成された、秘密結社である。大英帝国の植民地主義を引き継ぎ、現在の国際政治に多大な影響力を与えている(=世界を支配している)とされる。
歴史
編集円卓会議(ラウンド・テーブル)の強みは、その匿名性にある……彼らとは戦わなくてはならない……その歴史は悪意に満ちている。よくもこんなことができるものだ。 — ファビアン・ウェア
創始者グループは、セシル・ローズおよびアルフレッド・ミルナーと、ロスチャイルド卿、アスター卿、バルフォア卿、グレイ卿、イッシャー卿、らである。
アルフレッド・ミルナーは、ミルナー幼稚園(ミルナー・キンダーガーデン)を組織した。
セシル・ローズの死後は、アルフレッド・ミルナーが後を継いだ。円卓会議グループは、優秀な人材を、育成あるいは取り込んでいった。
円卓会議ムーヴメントは、ミルナー卿の幼稚園から発展。 彼らは、アングロサクソン会議にちなんで名付けられた「The Moot(ムート)」と呼ばれる会議を開催した。この運動は、ウェールズにあるアングルシー卿の邸宅であるプラスニューディッドの会合で、9月4〜6日の週末に始まり [1] 組織の枠組みはライオネル・カーティスによって考案されたが、全体的な考えはミルナー卿によるもの。 南アフリカの元統治者フィリップ・カーが組織の秘書になる[2]。
この他円卓会議グループが発展して、以下の組織・制度・会議が設立された。
1902年には、セシル・ローズの遺産により、ローズ奨学金が設立された。
1919年には、イギリスに王立国際問題研究所(RIIA、通称チャタムハウス)が設立された。創設者はミルナー幼稚園出身のライオネル・カーティスである。
1921年には、エドワード・マンデル・ハウスによって、アメリカに外交問題評議会(CFR)が設立された。CFRはアメリカをイギリスの影響下に置き続けるための組織である。
1925年には、太平洋問題調査会(IPR)が設立された。IPRはRIIAの下部組織であった。IPRはロックフェラー財団とカーネギー財団が資金を提供していた。
1945年には、ローズ奨学金を真似て、フルブライト奨学金が設立された。
著名なメンバー
編集20世紀前半の円卓会議「ムート」の著名なメンバーは、 以下の通り[3]
- レオ・アメリー
- ロバート・ブランド卿
- サーレジナルドクープランド
- セカンドバロネット、ジョージクレイク卿
- ライオネル・カーティス
- ジェフリー・ドーソン
- ライオネル・ヒチェンス
- ロージアンの第11侯爵、フィリップ・カー
- ウィリアム・マリス、マリス卿
- James Meston、Lord Meston
- アルフレッド・ミルナー 、ロード・ミルナー
- セルボーン伯爵
- アーサー・スティール・メイトランド卿
- アルフレッドジマーン卿
脚注
編集- ^ Historical Dictionary of the British Empire. (1996). ISBN 0-313-27917-9
- ^ J. Lee Thompson (2007). Forgotten Patriot: A Life of Alfred, Viscount Milner of St. James's And Cape Town, 1854–1925. ISBN 0-8386-4121-0
- ^ May, Alexander The Round Table, 1910–66 DPhil. University of Oxford (1995) Appendix B pp451-453
参考文献
編集- 5月、アレクサンダーザラウンドテーブル、1910〜66年 DPhil 。 オックスフォード大学 (1995)
- ボスコ、アンドレア円卓運動と「第二の」大英帝国の崩壊(1909-1919) (2017)
- ケンドル、ジョン円卓運動と帝国連合 (1975)