内閣総理大臣 (清朝)

清の公職

清朝内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん、內閣總理大臣)は、1908年光緖34年)に公布された立憲君主制を志向した欽定憲法大綱に基づき、1910年宣統2年)に整備された西欧的な内閣制度による内閣の首長である。1911宣統3年)年5月、清朝の軍機大臣内閣大学士は廃止され、政事を執ることはなくなり、内閣総理大臣を新設し、諸大臣と内閣を組織した。同年10月、辛亥革命が勃発し、清朝は11月に袁世凱を内閣総理大臣に任命し、南方革命軍の鎮圧を命じた。しかし、ひそかに革命派と連絡を交わし、自らの臨時大総統就任の言質を取るや革命派に寝返り、朝廷の要人に政権の交代を促した。こうして宣統4年(1912年)2月12日、宣統帝上諭が発布されて(宣統帝退位詔書)清朝最後の皇帝が退位、清朝は滅亡。帝国政府は中華民国臨時政府に取って代わられ、内閣総理大臣の機能は臨時大総統に取って代わられた。

大清帝国
大清帝国內閣總理大臣
Prime Minister of Imperial China & Qing dynasty
清の旗
任命清朝皇帝
創設1911年5月
名の由来内閣大学士
初代慶親王奕劻
最後袁世凱
廃止1912年-
略称内閣総理大臣

歴代の内閣総理大臣

編集
代数 氏名 就任 退任 備考
1   慶親王奕劻 1911年(宣統3年)5月8日 1911年(宣統3年)11月1日 皇族内閣
2   袁世凱 1911年(宣統3年)11月1日 1912年(宣統4年)2月12日 1911年(宣統3年)10月10日に勃発した辛亥革命の鎮圧の為、発足した内閣