内藤隆貞

戦国時代の武将

内藤 隆貞(ないとう たかさだ)は、戦国時代武将大内氏家臣。父は内藤興盛。母は内藤弘矩の娘。通称は弥六。

 
内藤隆貞
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 天文16年12月24日1548年2月3日
別名 弥六(通称)
主君 大内義隆
氏族 藤原北家秀郷流内藤氏
父母 父:内藤興盛、母:内藤弘矩の娘
兄弟 隆時正朝隆貞問田殿大内義隆側室)、女(宍戸元秀室)、弥二郎尾崎局毛利隆元正室)、隆春、女(和智元郷室)、女(出羽元祐室)、山内元興元種
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生涯

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長門国守護代を務める大内氏重臣・内藤興盛の三男として生まれ[1]大内義隆に仕える。の「隆」の字は大内義隆からの偏諱と思われる。

天文16年(1547年12月24日に死去[1]。内藤氏の系譜に隆貞の妻子は記されておらず、後継についても不明である[1]

系譜

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脚注

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注釈

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出典

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参考文献

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  • 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639OCLC 703821998全国書誌番号:73004060  国立国会図書館デジタルコレクション