内藤政憲

日本の江戸時代の大名、陸奥湯長谷藩の第14代藩主

内藤 政憲(ないとう まさのり)は、陸奥国湯長谷藩の第14代(最後)の藩主。

 
内藤政憲
『武家華族名誉伝 下』
時代 江戸時代後期 - 大正時代
生誕 弘化5年2月17日1848年3月21日
死没 大正8年(1919年3月24日
墓所 神奈川県鎌倉市光明寺
官位 従五位正五位従四位従三位
主君 明治天皇
陸奥湯長谷藩
氏族 大炊御門家谷氏内藤氏
父母 大炊御門家孝
谷衛滋内藤政養
兄弟 大炊御門経久政憲、彰順院、
久我信通養女、庭田重能正室
丹羽長富
酒井忠哲
政潔
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略歴

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弘化5年(1848年)、公家・大炊御門家孝の子として誕生した。正室に丹羽長富の娘、継室に酒井忠哲の娘。

始めは谷衛滋の養子となっていたが、慶応4年(1868年)の戊辰戦争で湯長谷藩の先代藩主である内藤政養が新政府軍と敵対して強制隠居処分となったため、その養嗣子として明治2年(1869年)2月3日に跡を継いだ。同年6月23日の版籍奉還知藩事となり、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で免官された。

明治14年(1881年)12月、隠居し、長男の政潔に家督を譲った。大正8年(1919年)に死去した。享年72。

系譜

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父母

正室、継室

子女

脚注

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当主
先代
内藤政養
湯長谷藩内藤家
1869年 - 1881年
次代
内藤政潔