内田 誠(うちだ まこと、1893年3月10日 - 1955年8月13日)は、日本の随筆家、俳人。
父は台湾総督の内田嘉吉。東京出身。1912年東京府立第一中学校卒業を経て東京農業大学卒業。明治製菓宣伝部勤務。部下に藤本真澄、戸板康二らがいた。
いとう句会を主催し、俳号を水中亭といった。いとう句会は久保田万太郎を宗匠として渋沢秀雄、徳川夢声、久米正雄、五所平之助、堀内敬三らが集い、戦時下も句会を行っていた。徳川夢声は府立第一中学校の同級生だった。
内田の妻は、田辺茂一の妻の妹[1]で、田辺とは義兄弟になる。
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