内海 繁太郎(うつみ しげたろう、1896年7月6日 - 1966年9月22日)は、人形浄瑠璃研究者。
香川県綾歌郡山田村(現・綾川町)出身。幼少時、淡路人形浄瑠璃に接する。香川師範学校卒業。千疋村(現・綾川町千疋)の小学校で教師となるが、1920年小原国芳の勧めで上京、成城小学校で教員をしながら日本大学の美学科、国文学科に学び1929年国文科卒。1930年日本大学法文学部学生主事、教授、1948年芸術学部演劇科教授となる[1]。1954年「人形浄瑠璃の研究」で日大文学博士。墓所は多磨霊園。