公楽ラーメン名店街
沿革
編集1951年(昭和26年)、札幌市南5条西3丁目の札幌東宝公楽の横に8軒のテナントが入った「公楽ラーメン名店街」の建物が建てられ、果物店や菓子店、寿司屋のほか、ラーメン店「来々軒」が入居した[1]。同年内に松田勘七経営の「龍鳳」も入居し、続けて「さぬき屋」も入居、その後半年遅れで「天津軒」も入居した[1]。
その後もラーメン店のテナント入居が進められ、8軒のうち7軒がラーメン店となった段階で「公楽ラーメン名店街」と命名された[1]。
1969年(昭和44年)8月、1972年札幌オリンピックに向けた道路拡張工事のため取り壊された[1]が、廃止後の現在も札幌ラーメン横丁の元祖として名高い存在である[2]。
店舗
編集7軒のラーメン屋が実現した時代の店舗である。北から順番である[1]。
- 龍鳳
- さぬき屋
- 芳蘭
- 来々軒
- 宝寿司
- 天津軒
- 満州軒
- 蓬莱軒