公山城
公山城(コンサンソン、韓国語:공산성)は、大韓民国忠清南道公州市郊外の山に築かれた百済時代の山城。
公山城 | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 공산성 |
漢字: | 公山城 |
発音: | コンサンソン |
ローマ字: | Gongsanseong |
概要
編集公州市街と錦川に隣接する山に築かれた周囲長約2,660m[1]の城壁に囲まれた山城。復元された城壁内には世祖4年(1458年)に創建された霊隠寺がある[1]。
百済の首都が熊津(ウンジン、現在の公州)であった時代の山城であり、文周王が475年(文周王元年)に漢城(現在のソウル)から遷都した際に建造、その後538年(聖明王16年)に扶余に遷都するまで64年間に渡り、王都の防衛設備であった。熊津城とも呼ばれる。
北側を錦川に隣接し、東西に800m、南北に400mの長方形をなしている。高麗時代より「公山城」と呼ばれるようになった。従来は土城だったが、李氏朝鮮の宣祖、仁祖時代に石城に改築された。
域内には、錦西楼、鎮南楼、拱北楼、双樹亭、明国三将碑、双樹山城史跡碑、霊隠寺、蓮池、挽河楼、臨流閣、光復楼等の建造物、石碑がある。