八重山民政府
八重山民政府(やえやまみんせいふ、Yaeyama Civil Government)は、アメリカ軍占領下の八重山諸島における行政機構で、1947年3月21日に設立された[1][2]。八重山支庁長は八重山民政府の知事となった[2]。また諮問機関として「八重山議会(後に八重山民政議会に改称)」が設置された。八重山民政府は、1950年11月に八重山群島政府に改組された[2][3]。
民政府発足前の「八重山支庁」
編集1945年の沖縄戦によって沖縄県庁の機能が麻痺し、しかも戦争マラリアの爆発的流行によって社会不安が発生し、八重山支庁そのものも機能を失っていた。そのため、島民は八重山自治会を結成することになり、会長として宮良長詳を選出した。米軍政府は「八重山支庁」を同年12月28日に復活させ[4]、自治会長の宮良長詳を支庁長に任命した[5][6]。八重山支庁は1947年1月24日に八重山仮支庁に改称された[4]。
「八重山支庁」の行政機構
編集- 支庁長
- 総務部
- 経済部
- 事業部
- 衛生部
- 文化部
- 警務部
- 逓信部
- 秘書課
八重山議会
編集八重山支庁の諮問機関として1946年に設置された八重山支庁議会が前身である。八重山民政府の発足に伴い、八重山郡会次いで八重山議会と改められた[1]。1950年になり、八重山民政議会に改組された。
関連項目
編集脚注
編集- ^ a b “八重山 近・現代史 略年表 1945年(昭和20)8月15日〜1972年(昭和47)5月14日”. 石垣市 (2020年3月2日). 2020年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
- ^ a b c “宮古民政府・八重山民政府が設立される”. 琉球政府の時代. 沖縄県公文書館. 2022年6月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
- ^ “布告・布令・指令等(2) 住民の行政機構の設置”. 琉球政府の時代. 沖縄県公文書館. 2021年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
- ^ a b 『角川日本地名大事典 47 沖縄県』(1986年7月8日、角川書店発行)1065頁。
- ^ 大田靜男『八重山戦後史』ひるぎ社、1985年1月15日、67頁。
- ^ “宮良長詳 (みやら・ちょうしょう)”. 最新版 沖縄コンパクト事典. 琉球新報社. 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。