八田善之進
日本の内科医学者 (1882-1964)
八田 善之進(はった ぜんのしん、1882年(明治15年)2月1日[1] - 1964年(昭和39年)1月7日[1])は、日本の内科医学者。枢密顧問官、医学博士。
経歴
編集福井県吉田郡上中村(現福井市上中町)で、八田善左衛門の二男として生まれる[2][3]。福井中学校、第四高等学校を経て、1909年12月、東京帝国大学医科大学を卒業[2][3][4]。同医科大学医科学教室、同医科大学助手を経て、1917年2月、愛知県立医学専門学校教授に就任した[1][2][3][4]。
以後、愛知病院内科第一部長を務め[2]、1917年11月12日、医学博士号を取得[5][4]。1919年11月、宮内省に転じて侍医に就任し東宮御所詰となる[2][4]。1921年、皇太子訪欧に随行した[2][4]。その後、日本大学医学科講師、同医学科科長を兼任し、1937年3月9日から1945年11月23日まで侍医頭を務め、宮内省御用掛に就任[2][4]。1947年1月9日に枢密顧問官となり、同年5月2日の枢密院廃止まで在任した[2][4]。
その後、社会保険横浜中央病院長を経て、1953年から1963年まで社会保険中央総合病院長を務めた[2]。
長男は昭和大学医学部消化器内科教授 八田善夫、孫に日本大学医学部血液膠原病内科教授 八田善広。
栄典
編集- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[6]
脚注
編集参考資料
編集- 『福井県大百科事典』福井新聞社、1991年。
- 『国立公文書館所蔵 枢密院高等官履歴 第8巻』東京大学出版会、1997年。
- 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
- 『20世紀日本人名事典 そ-わ』日外アソシエーツ、2004年。