八幡観音塚古墳
八幡観音塚古墳(やわたかんのんづかこふん)は、群馬県高崎市八幡町に所在する前方後円墳である。古墳は国の史跡、出土品は重要文化財に指定。
八幡観音塚古墳 | |
---|---|
墳丘(後円部) | |
所在地 |
群馬県高崎市八幡町 |
位置 | 北緯36度20分30.1秒 東経138度56分27.5秒 / 北緯36.341694度 東経138.940972度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 全長105m、高さ14m |
埋葬施設 | 両袖型横穴式石室 |
出土品 | 銅鏡、馬具、刀剣、銅鋺、鉄製工具、須恵器など |
築造時期 | 6世紀末~7世紀初頭 |
史跡 | 1948年(昭和23年)国の史跡 |
地図 |
概要
編集- 墳丘長105メートル[1]
- 後円部径70メートル・高さ12メートル
- 前方部幅105メートル・高さ14メートル
高崎市の西方、北側を東南流する烏川と南側を東流する碓氷川とに挟まれた東西に長い帯状の台地上に所在する。
この古墳の墳丘は、前方部は4段、後円部は3段構成で、横穴式石室は第1段(基壇)の上に乗る形となっている。墳丘と石室は高麗尺を使って作られていたと考えられ、どちらの規模も35の倍数になっている。横穴式石室は全長15.8メートルを測る巨石使用の大石室で、最も大きい石材は4.5×3.4メートル以上、重さ約50トンにも達する[2]。その壮麗さから「群馬の石舞台」とも呼ばれている[3]。
1945年(昭和20年)3月、防空壕を掘っていた地元の人々によって石室が偶然発見され、30種300点にのぼる副葬品が発掘された[4]。
副葬品
編集以下の出土品が「上野国八幡観音塚古墳出土品」の名称で、1961年(昭和36年)に一括して重要文化財に指定されている。
- 銅鏡-4面
- 金環-7対
- 銀釧-1箇
- 銅承台付蓋鋺-2口
- 銅鋺-2口
- 銀荘圭頭大刀-1口
- 銀荘横刀-2口
- 銀鷄冠頭柄頭-1箇
- 銀圭頭柄頭残闕・銀鞘尻-1具
- 刀子残闕 銀柄頭・鞘口・鞘尻 1具共-3口分
- 鉄鉾身 石突2箇共-1口
- 銅製約-7箇
- 銀透彫金具-2箇
- 銀弭金物 残欠1箇共-3箇
- 挂甲札残闕-1括
- 金銅透彫杏葉-4枚
- 鉄地金銅張杏葉-4枚
- 金銅鈴付辻金具・端金具等-17箇
- 鉄地金銅張雲珠残闕・辻金具・端金具等-一括
- 金銅鞖 銀座金付-4箇
- 金銅鞖-3箇、
- 鉄鞖 残欠共-一括
- 鉄轡残闕-一括
- 金銅環状金具-2枚
- 貼銀銅金具-2枚
- 銅飾鋲-26箇
- 蓋形銀製品-1箇
- 銀縁金具-1箇
- 其他鉄斧頭・鉄鑓鉋・鉄鏃・鉄釘等-一括
- 須恵器-7口
4面ある銅鏡のうち、画文帯神獣鏡は埼玉県行田市の埼玉稲荷山古墳から出土したものと同じ型から作られたものであることがわかっている。
これらの遺物は観音塚考古資料館に収蔵・展示されている。
参考画像
編集-
横穴式石室開口部
-
羨道
-
玄室
観音塚考古資料館 | |
---|---|
施設情報 | |
正式名称 | 高崎市観音塚考古資料館[5] |
専門分野 | 考古資料 |
収蔵作品数 | 約300点[6] |
所在地 |
〒370-0884 群馬県高崎市八幡町800番地144[6][7] |
位置 | 北緯36度20分24.6秒 東経138度56分24.3秒 / 北緯36.340167度 東経138.940083度座標: 北緯36度20分24.6秒 東経138度56分24.3秒 / 北緯36.340167度 東経138.940083度 |
アクセス |
JR群馬八幡駅より徒歩25分[6] ぐるりん観音塚考古資料館前下車[6] |
外部リンク | 観音塚考古資料館 |
プロジェクト:GLAM |
交通アクセス
編集周辺
編集周辺の古墳とともに八幡古墳群を形成する。
脚注
編集関連文献
編集(記事執筆に使用していない関連文献)
- 『八幡観音塚古墳 平塚古墳 八幡二子塚遺跡2 元島名将軍塚古墳2 -公共下水整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査-(高崎市文化財調査報告書 第487集)』高崎市教育委員会、2023年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
外部リンク
編集- 上野国八幡観音塚古墳出土品 - 高崎市
- 観音塚考古資料館