入江伊津子

霊元天皇の後宮。子に嘉智宮(1709.10.31-1713.4.30、十四男、毘沙門堂、輪王寺、浄妙院宮)、留宮(十二女、1711.1.18-1712.5.28、大聖寺、瑧岸院宮、臻岸院)

入江 伊津子(いりえ いつこ、? - 1763年9月23日宝暦13年8月16日))は、霊元天皇後宮。父は入江家開祖の入江相尚[1]。兵衛内侍、藤三位局、右兵衛局と称した。法号は寿光院。藤原伊津子とも呼ばれる。

生涯

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入江家の開祖である入江相尚の娘として生まれる。霊元天皇に仕えて皇子の嘉智宮・皇女の留宮を生む。これまでに兵衛内侍、藤三位局、右兵衛局と称した[2]

1763年9月23日宝暦13年8月16日)、死去。法号は寿光院[2]

脚注

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  1. ^ 入江家(羽林家)”. Reichsarchiv ~世界帝王事典~. 2021年1月15日閲覧。
  2. ^ a b 「日本人名大辞典」(講談社