入来院公寛
入来院 公寛(いりきいん きみひろ)は、江戸時代末期の薩摩藩士。薩摩入来領主、入来院氏29代当主。
時代 | 江戸時代末期 - 明治時代 |
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生誕 | 天保7年(1837年) |
死没 | 明治4年(1871年) |
改名 | 愛之助(幼名)→公寛 |
別名 | 通称:弾正、恰 |
主君 | 島津斉彬→忠義 |
藩 | 薩摩藩 |
氏族 | 島津氏→入来院氏 |
父母 |
父:島津貴典、母:お絮(いと)(島津忠貫の娘)、 養父:入来院定極 |
妻 | 正室:島津久光娘・於哲 |
子 | 重通 |
生涯
編集天保7年(1837年)2月11日に垂水島津貴典の子として誕生。安政元年(1854年)7月、入来院定極の養子となって入来院氏の家督を相続する。
安政3年(1856年)、詰衆となる。文久3年(1863年)7月の薩英戦争の際に、領内の兵を率いて、荒田正建寺に陣を張る。慶応4年(1868年)、長崎の幕領鎮撫のため、領内より小隊を出兵させた。
明治3年(1870年)、入来領3500石を奉還する。翌明治4年(1871年)11月7日死去。享年35。
参考文献
編集- 「入来村史」