児玉 遠岩(こだま とおいわ、系図上の没年月日は、延久2年8月7日(1070年))は、『児玉系図略図』に記載されている児玉氏祖。大夫従五位下、河内守(児玉郡河内村を指す)、式部大輔。平安時代中・後期の人物。

萩藩伝書、児玉広高家所蔵の『児玉系図略図』等に記載されている児玉氏祖。系図上では、児玉党祖である児玉惟行(この系図では、従五位下、河内守とある)の父として記述されている。また、惟行の嫡男である児玉弘行(児玉党本宗家2代目)が庄氏を名乗ったと言う伝承もある。

1990年代から2000年代までの児玉町及び本庄市関連の書物において、児玉氏祖は惟行とし、遠岩の名は採用されておらず、児玉郡域(関東圏)において支持はされていない。

参考資料

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  • 『児玉の民話と伝説 (下巻)』[要文献特定詳細情報] 1992年 - 関東では遠岩を児玉氏祖とは認知せず、惟行を氏祖とする。
  • 『児玉町史 中世資料編』 [要文献特定詳細情報]1992年 - 児玉郡域に残る系図のほとんどが氏祖を惟行としている。
  • 『本庄歴史缶』 [要文献特定詳細情報]1997年 - 児玉氏祖を惟行としている。
  • 『本庄人物事典』 [要文献特定詳細情報]2003年 - 同、児玉氏祖を惟行とする。
  • 『武蔵武士 そのロマンと栄光』 [要文献特定詳細情報]1990年 - 惟行の父を有道維能とし、児玉氏祖を惟行とする。