児玉景栄
児玉 景栄(こだま かげひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。小早川隆景の家臣。父は児玉就方。兄に児玉就英。
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 天文17年(1548年) |
死没 | 天正7年12月11日(1579年12月28日) |
別名 | 通称:与四郎→平左衛門 |
主君 | 小早川隆景 |
氏族 | 児玉氏 |
父母 | 父:児玉就方 |
兄弟 | 就英、景栄 |
妻 | 乃美隆興の娘 |
子 | 元房 |
生涯
編集天文17年(1548年)、毛利水軍の将を務めた児玉就方の次男として生まれ、小早川隆景に仕える。
天正7年(1579年)12月11日、景栄は美作国宮山城において戦死した。享年32。隆景は井上春忠を使者として景栄の父・就方に書状を送り、景栄の死を悼んだ。景栄の後は子の元房が継いだ。
参考文献
編集- 『萩藩閥閲録』巻119「児玉勘左衛門」